鼠たちのカクメイ
起
善右衛門は恭しく跡部に酌をしながら、お知恵を拝借、と遜る。
「俺が袖にしたからお主の所に参ったか、あの偽善者め。無論、断れ!」
「せやけど、江戸より赴任されたばかりの跡部様はご存じおまへんやろが、大塩様はここ大坂では絶大な人気をお持ちの正義漢ですわ。厄介なことにならしまへんやろか」
ここで大塩平八郎の与力時代に触れよう。そもそも与力とは、奉行というキャリアからの直接指揮と幕府からの報酬を受ける身分。職務としては司法(検察と裁判の双方)、行政(警察と一般行政)を兼ねる多忙な役人で、ここ大坂には東西奉行所に三十人ずつが配属されている。
二十五歳で与力職に就いた平八郎は、東町奉行・高井実徳のもと「諸御用役調」というノンキャリアのトップにまで昇りつめた。刑事ドラマで言うところの刑事部長、法廷ドラマの主任検事あたりか。
在任中はその辣腕をふるい、奉行所内部の不正まで暴く熱血漢だった。中でも平八郎を有名にしたのは弓削新左衛門の一件だった。弓削は自身与力でありながら、当時御法度とされていた武家無尽の仲介役で私腹を肥やしていた。
無尽は本来「講」というコミュニティの中で資金を集めて、抽選で順繰りに総取りしていく謂わば宝くじのようなものだったが、やがて抽選が出来レース化して贈収賄の隠れ蓑として利用されるようになっていった。たまたま高い身分の者ばかりが当たる宝くじであって、賂ではないというわけだ。