さらに、神殿外側には東側に巨人族とオリュンポスの神々の戦い、南側にラピテス族とケンタウロス族の争い、西側にギリシア人とアマゾン族との戦闘、そして、北側にトロイ戦争の場面が表現された計92枚のメトープ(浮彫石板)が飾られていました。こうしたレリーフや破風の一部は、現在アクロポリス博物館や大英博物館に保存されています。

内部構造に目を向けると、パルテノン神殿は、イオニア式の6本の柱が立つ前室(プロナオス)とアテナ・パルテノス(処女神アテナ)像(アガルマ)の安置された神室(ネオス・へカトンペドス:ナオス)、パルテノン(処女の間)、そしてイオニア式の4本の柱が立つ後室(オピストドモス)から構成されています。

台座からの高さ約11mを測るアテナ・パルテノス像は、フェイディアスの手になる黄金象牙製で、その製作費用はパルテノン本体の建造費を凌駕するものでした。また、その黄金板は脱着可能で、軍事資金に転用できたようです。

このアテナ・パルテノス像は、パウサニアス『ギリシア案内記』(第1巻第24章第5-第7節)では、次のように述べられています。

「ヘルメットの中央にスフィンクスの像があり、それの両側にグリフィン(半獅子、半鷲の怪物:クノッソス宮殿の玉座の間などに描かれている怪獣)がいる。像は立像で足まで垂れる外衣(キトン)を纏(まと)う。胸には象牙彫のメドゥーサの頭をつける。勝利の女神(4ペキュス=178cmほど)を右手で支え、もう一方の左手は槍を持つ。その足下には一枚の楯があり、槍の側には一匹の蛇(エリクトニオス:神話上のアテネの王)、台座にはパンドラ誕生の場面が浮彫にされている」

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