【前回の記事を読む】「我はアゴラのホロス(境界石)なり」ホロス(境界石)は神聖かつ公的な本来の「広場」としてのアゴラを守る役割を果たしていた

II 遺跡ガイド

1. アテネ市内とピレウス

アゴラ

〇評議会議場とメトロオン

前6世紀末のクレイステネスの改革によって創設され、その後のアテネ民主政において、実質的な中枢機関の位置を占めたのが五百人評議会です。旧評議会議場は前500年頃に建設され、その後、前415年から前406年頃の間に旧評議会議場のすぐ西側に、新評議会議場が建設されました(新しい建物の建設理由は不明)。

パウサニアス『ギリシア案内記』(第1巻第3章第5節)に記されている、「五百人」の評議会議場(ブーレウテリオン)は、新評議会議場のことです。ここでは、各部族から抽選で選ばれた五百人の評議員が集い、アテネの最高決議機関「民会」に提出する議案などを先議しました。会議は、祭日を除く毎日開かれました。

新旧評議会議場のどちらも、礎石しか残っていないため、座席がどのように配置されていたかは正確にはわかっていませんが、半円形もしくはコの字形に着席するつくりになっていたと推定されています。

旧評議会議場の建物は、前5世紀末に諸神の母レアを祀る小さな神殿(メトロオン)に吸収されました。メトロオンは、聖所と公文書館の機能を兼ね備えており、現在見ることができるのは四つの部屋とイオニア式柱廊からなるヘレニズム時代のメトロオンの跡です。