〇エポニュモイ(名祖半神)像の台座
アゴラの南西端、旧評議会議場の遺構の向かい側に、エポニュモイ(名祖半神)像の細長い台座(長さ16.6m)が残っています。エポニュモイとは、アテネの民主政の基礎を築いたクレイステネスの改革(前508年)によって設けられた十部族の名前のもとになった、10人のアテネの半神もしくは英雄です。
この台座の上に10人の名祖の青銅像が横一列に並んでいましたが、現在は、台座(その壁面に公式文書が掲示されました)とそのまわりの文章保護用の石柵の基壇が残っているだけです。このモニュメントは、市民への掲示板の役割を果たしていて、政治や軍事、裁判などの通知事項が掲示され、アゴラに集う市民は、民会や裁判の開催通知、民会の議事の告示、徴兵名簿など、さまざまな情報を得ることができました。つまりこのモニュメントは、情報開示のための重要な装置でした。
クレイステネスの改革は、「オストラキスモス(陶片追放)」が有名ですが、民主政を基礎づけたという意味では、このエポニュモイ(名祖半神)の名前を持つ十部族からなる「部族改革」がより重要です。彼の設けた地域的十部族の制度は、以後のアテネの行政や司法や軍事の基本的単位となりました。
なお、十の部族の名称は、公式順に以下の通りです。エレクテイスⅠ、アイゲイスⅡ、パンディオニスⅢ、レオンティスⅣ 、アカマンティスⅤ、オイネイスⅥ、ケクロピスⅦ、ヒッポトンティスⅧ、アイアンティスⅨ、アンティオキスⅩ。


〇牢獄跡 (推定)
アゴラの南西端に、長い廊下を挟んでいくつもの小部屋が連なった珍しい建物跡が残っています。おそらく、牢獄の跡であると推定されています。ソクラテスも裁判の後にここに投獄され、毒杯を仰いだと考えられています。
この遺構からは、小さな薬瓶(毒物の瓶か?)が十数個発見されており、こうした薬瓶の出土品もここが牢獄であったと推測する根拠となっています。ちなみに、毒薬は毒人参のエキスだったようです。

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