Ⅰ 歴史的概観
4.ヘレニズム時代(前336〜前146年)
バルカン半島東部では、マケドニアのアンティゴノス・ゴナタスが支配力を保ち、その海軍力によって前3世紀にはエーゲ海で活躍しました。
マケドニアの支配権を確立したゴナタスは、ギリシア本土への進出を図り、アテネ・スパルタが起こした反マケドニア蜂起であるクレモニデス戦争(前267〜前261年頃)を制して勢力を拡大しました。
しかし、これに対抗して、ギリシアでは都市や民族の軍事連合がさらに発展しました。
前3世紀後半には、ペロポネソス半島北部の僻地の部族国家を基盤とするアカイア連邦とギリシア北西部のアイトリア連邦は、従来のポリスの枠組みを超えた広い連邦組織として急成長をとげ、本土の大国として台頭しました。
両連邦は、マケドニア、シリア、バルカン半島に進出してきたローマなどといった強国との連携と対立を繰り返しながら、最終的にローマに屈するまで東地中海世界の複雑な国際政治の中で重要な役割を果たすことになります。
前2世紀、拡大するローマはギリシアに本格的に進出を始め、マケドニアのフィリッポス5世に対抗しバルカン半島に侵攻し(第2次マケドニア戦争:前200〜前197年)、フィリッポスを破り、さらに、彼の息子ペルセウス王(前179年即位)が勢力挽回に乗り出すと、ローマとの間に第3次マケドニア戦争(前179〜前168年)が勃発し、彼はピュドナの戦い(前168年)でローマ軍に決定的な敗北を喫しました。
こうして、マケドニアは前146年にはついにローマの属州の地位に転落しました。
アカイア連邦も反ローマ感情が高まり、おk前146年にローマに対する決戦を挑みますが、短期間の戦争でローマは同盟軍を粉砕し、中心都市コリントスを徹底的に破壊しました。こうして、ギリシアの自由と独立は名実共に終わりを告げました。
コラム『ライキ・アゴラ(大衆市場)』
アテネの生活で欠かすことのできないのは、ライキ・アゴラ(大衆市場) です。季節によって場所は移動するのですが、我が家の近くではプラスティーラ広場に接する通りで開かれていました。
週に一度、通りが活気あふれる市場に変身します。道路の両側にずらりと、にわか仕立ての季節の野菜・果物・魚売り場が店を連ね、お客は一週間分キロ単位でまとめ買いをしていきます。
ごったがえす店先で、我先にと買い求める客に対して、店の主人の方は「こちらの人の方が先だよ」と、結構正しく順番を覚えているのには感心しました。
毎週同じ場所に同じ店が出ていて、笑顔のいい大柄なギリシア人の店となじみになり、時にはウィンクをしながら多めに入れてくれました。
ところが、ある日突然、ライキ・アゴラが消えてしまいました。いつものように買い物籠を持って通りに出かけていきましたが、市場は開かれていません。
買い物にやってきた地元のギリシア人の婦人が、呆然と通りに佇む私のような外国人に対して、「ライキはどこに移動したの」と大声で詰問する始末でした。
ライキ・アゴラの移動の情報は、私には最後まで謎で、季節が変わればいつのまにか別の通りで別のライキ・アゴラが開かれているといった風でした。