II 遺跡ガイド
1. アテネ市内とピレウス
アクロポリス
アテネのアクロポリスは、西側を除く三方を断崖で守られた要害の地で、周辺からの高さは100mほどの石灰岩の丘です。この丘は、すでに後期新石器時代から居住の跡が確認されていますが、ミケーネ時代中期(前14世紀)になると、その上には宮殿が築かれ、周囲には城壁もめぐらされました。
王宮からはアクロポリス北壁の岩塊の間を縫うように通路が下町に通じていて、また西側にも西寄りの洞窟に通じる階段が岩肌に刻まれています。
ミケーネ時代の末期(前13世紀)には、アクロポリスの岩山全体が城壁で囲まれました。そして、歴史時代になると、ここには守護神アテナの神殿が置かれ、都市アテネの中心的聖域となりました。
現在のアクロポリス南壁の石組みは、前5世紀半ばのペリクレス時代のもので、城壁で囲まれたアクロポリスの東西の最大長径は約300m、南北の最大短径は135mと長方形の形となっています。
丘の上の中央にそびえるのが、パルテノン神殿、その左はエレクテイオン神殿、その左端に、プロピュライア(前門)とニケ神殿。手前の建物は、ヘロディス・アッティコスのオデオン(音楽堂)。
〇プロピュライア(前門)
アクロポリスの正面玄関にあたるのが、丘の西側のプロピュライアです。前5世紀のプロピュライアはペルシア軍によって破壊され、現存するのはムネシクレスの設計(前437年着工、前432年工事中断)によるもので、ドーリス式とイオニア式の列柱を配した中央の門と左右両翼からなっています。
左翼にはピナコテーケー(絵画館)があり、トロイ戦争などに関わる神話を題材とする絵画が展示され、アクロポリス参詣人の休息所となっていました。右翼には、アテナ・ニケ神殿が建っています。
【前回の記事を読む】アルカイック時代の到来。その遺構は今日もギリシア人の富と芸術性の高まりを雄弁に物語る。