【前回の記事を読む】「に、にいちゃん、こ、ここのアリかむとよ!」……アリにかまれた譲二ちゃんの足の小指は赤くはれていた

第一章

(四)ドラム缶風呂とカナル風呂

ドミニカ共和国に着いて、峯家にお風呂ができるまでの一週間は、家族全員、重留さんのドラム缶風呂を借りに行きました。その家は慎ちゃんたちのところから、歩いて十分ほど北西のちょっと小高いところにありました。

日本にいたころ、慎ちゃんはいつも近所の銭湯に、父さんや母さんたちと行っていましたが、内風呂はそのころまだめずらしく、入ったのはせいぜい泉水(せんすい)のおじいちゃんのところに遊びに行ったときくらい。

昭和三十二年ごろは銭湯が一般的だったのです。農家の多くの人たちは「五右衛門風呂」という大きな鉄のかまのようなお風呂を使っていました。慎ちゃんのおじいちゃんのところもそうだったので、五右衛門風呂に入るのはけっこう上手だったのです。

ドラム缶風呂に入るときは気をつけないといけません。底が少し熱いので、丸く切った板をまず浮かばせて、そっと上に乗り、バランスをとりながら、少しずつ体重をかけて行かないと、よくひっくり返ります。譲二ちゃんはまだ小さいので、一人で入ることはできません。

だから、父さんが、「よっこらしょ」と高く持ちあげて、ゆっくりおろします。怖がり屋の譲二ちゃんは、それでも最初はおどおどしていましたが、何度か入っているうちにバランスが取れるようになりました。

ラ・ビヒアの日本人のお風呂はみんなドラム缶風呂だったので、それを知ったドミニカ人たちは、「日本人は自分自身を煮ている」と笑っていたそうです。慎ちゃんたちだって最初は驚いたほどですもの。熱い国で水シャワーしか知らない人たちからするともっともでしょうね。

でも、せまいお風呂でも、それを独り占めにした大人になったような気分で、いつもワクワクしながら入っていました。

ある夜。

「たまには水あびも良いかもしれんね。カナルに行ってみようか」

父さんがそう提案しました。

カナルとはスペイン語で用水路のことです。昼間、父さんがラ・ビヒアの西はずれにあるカナルに、きれいな水が流れているのを見て、ひとあびするのも面白いと、思ったらしいのです。