【前回の記事を読む】ドミニカ共和国で家族でカナル風呂! 南国とはいえ三月の水は冷たくて母さんの一声で…

第二章

(一)最初の友だち

ラ・ビヒア(コロニア)に来て、一週間がたちました。

父さんは十六歳になって間もない弟の忠夫おじさんといっしょに、畑を見に行ったり、我が家のドラム缶風呂の屋根作りも始めたりで忙しそうでした。

母さんは食料の買い出しや、コロニア内にあるドミニカ人が経営するボデーガ(お店)や集会所へ行って、慎ちゃんたちがどこでスペイン語が学べるのか調べているようでした。

ある日。

「こんにちはー」

元気な声が勝手口から聞こえました。

「はーい」

ドミニカで初めてだれかが家に来たのです。これは一大事。

(だれやろう)

慎ちゃんは母さんについてかけて行きました。

勝手口に、慎ちゃんと同じような年ごろの男の子たちが数人、笑顔で立っていました。

その中で体が一番大きくて、つばの色があせた野球帽をかぶり、目がぎょろっとした男の子が元気な声で言いました。

「野球(ペロータ)をせんかと思ってさそいに来ました」

「まあ、うちの慎一と譲二をさそいに来てくれたと? ありがとね」

母さんはたいそう感激し、

「ほら、みんなと遊びに行ってきんしゃい」

慎ちゃんたちをせかしました。

目ん玉の大きい男の子の名は山本新二くん。ほかの子どもたちは、佐竹くん、中原くん、犬山くんです。全員、慎ちゃんより半年ほど早くドミニカに来ていた一次の子どもたちでした。

一次というのはこの国に最初に移住してきた人たちのことです。二次と三次はこのダハボン地区とは別のところにいました。慎ちゃんたちは四番目に来たので四次なんです。

ドミニカで最初の友だちになった山本くんは、慎ちゃんよりも一つ年上で、いつも上半身をゆすって歩くくせがありました。

Yamamotoと書いてスペイン語では「ジャマモート」と読むのですが、ドミニカ人はこれが言いにくいらしく、いつのまにか山本くんのことを「ジューカ」と呼んでいました。ジューカとはドミニカの主食の一種で長いイモのようなものなんです。