プロローグ
ジージがちょうど君たちと同じような小学生から中学生のころの冒険談を聞いてくれるかな?
冒険談っていったのはね、日本で起きたことじゃなく、ジージが九歳から十四歳までの間、まだ「慎ちゃん」と呼ばれていたころ、ドミニカ共和国という国で体験した奇想天外な話だからなんだ。
まず、ドミニカがどこにあるか知っている? 知らない? そうか、じゃあ地図で探してみよう。
北アメリカと南アメリカのちょうど中央辺りに、パナマという国がある。「パナマ運河」で有名な国。その少し右辺りが映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」で有名な「カリブ海」。ここにドミニカがある。
お隣はハイチ。赤道から近いので常夏の国なんだね。アメリカのプロ野球リーグのMLBで多くの優秀なドミニカの野球選手が活躍しているよ。
さて、このお話にはジージの両親や弟妹、つまり君たちのおじさんやおばさんが登場するんだけど、ドミニカになぜ行ったのか、そのころの日本はどんな様子だったのかなど、時代背景を話しておいたほうが分かりやすいだろうから、少しふれておこうかな。
ジージは昭和二十二年(一九四七年)に福岡県で生まれた。日本は第二次世界大戦で敗れてまだ二年しかたっていなかったので、みんな貧乏で大変だったんだ。
でもジージが物心ついたころは、もう外国の映画を両親に連れられてよく見に行っていたし、楽しい運動会や演劇などたくさんあって、少し前に大きな戦争があったなんて信じられなかった。
ドミニカ共和国に移住する四年前の一九五三年、ジージが六歳のとき、日本でテレビ放送が始まった。でも、テレビの値段はふつうのサラリーマンの月給の十倍ほどでね、そう簡単にだれでも買えるものじゃなかった。
町のアーケード街の一角にテレビ専用の台が高いところにあって、宝物のように一台だけ置いてあったよ。それをみんな首がつかれるほど見あげて観戦していたんだね。
放送されるのは大ずもうと野球とレスリング。放送が始まると、銭湯は空っぽになるほどみんながアーケードに集まるわけ。
特に人気があったのはレスリング。力道山という日本人レスラーが試合をする時間になると、テレビの前は人だかりさ。