【前回の記事を読む】深夜、まどろみの中、目を覚まして聞こえてきたのは怪獣のようなうなり声。その声の持ち主とは……?

第一章

(一)猛獣の声

一九五七年三月八日。峯慎一、呼び名は「慎ちゃん」。もうあとひと月で十歳。

ドミニカ共和国の最初の朝はこうやってスタートしました。

そして、この日からおよそ五年間、両親、弟、妹、それに父さんの弟をふくめた六人家族は、このダハボン地区のラ・ビヒア(スペイン語で「見張り台」という意味)で、ほかの日本人五十五家族、総勢三百三十八人と苦楽をともにすることになったのです。

(二)ドミニカ第一日目の朝

ロバに驚かされて起きた朝から、ドミニカでの本格的な生活が始まりました。夜が明けて分かったことは、峯家の家はドミニカの空のような青色。慎ちゃんはこの色が大好き。

屋根も、かべも、全部スレート板でできていて、天じょうのない屋根から一本一本打ちぬかれたクギが見えました。

「こりゃあ、真夏になれば暑くてたまらんばい」 父さんが心配そうにつぶやきました。

三月はまだすずしいころだったので、父さんの言葉はオーバーに聞こえたけれど、あとから父さんの心配が本当だったことが分かってきます。

家の両側には、雑草がまばらに生えた幅三メートルほどの小さな庭がありました。

正面玄関に向かって右隣の家はピンク色、高知出身の一家です。左隣はアイボリー色、鹿児島出身の人たちでした。

家の裏には、家と同じ色の小さな納屋のような建物があり、これが、あとからいろいろ問題となる「ボットン便所」でした。

最初の夜、お世話になった福岡出身の重留(しげとめ)さんが、「便所には気いつけんさいよ」と注意した理由が分かりました。

底が見えないほど深いのです。三メートルはあろうかという深い穴を掘って、その上にこの便所の小屋をかぶせています。もし落ちたら、くさいばかりか、死ぬかもしれません。