力道山が空手チョップというわざで、昔敵だったアメリカの体の大きいレスラーをたおすと、アーケード中が、「ウォー」とか「やっちゃれやっちゃれ!」とか、「いいぞ力道山!」という声援でうまるんだな。
まだアメリカ軍が日本にちゅう在していたので、B-29という爆撃機が上空を飛んでいたし、近くに芦屋(あしや)基地というのがあったので、ジープに乗ったアメリカ兵を何度も見たことがあるよ。
ジージが生まれてドミニカに行くまで育ったところは筑豊(ちくほう)と呼ばれていて、良質な石炭がほられていた場所。そのころ、石炭は「黒いダイヤ」とも呼ばれて、日本の産業発展にはとっても重要な鉱物だったんだ。
当時、近くの街に鉄を作る日本一の八幡(やはた)製鉄所があってね。製鉄には、溶鉱炉(ようこうろ)という装置の中で、鉄の原料となる鉄鉱石を溶かす燃料の石炭がたくさん必要なんだ。
でも近くに筑豊炭田があったから石炭を汽車や船で運んで、その地域一帯が大いに栄えた。そんな歴史があるんだ。
ジージの父さんはその炭鉱でこう道を作るときに大事な「ハッパ」と呼ばれるダイナマイトの担当者だった。特別な免許がいるほど危険な作業なので、お給料も良かったんだって。
でもね、ジージの母さんは、夫が炭鉱から帰ってきて「ゴホン、ゴホン」とせきをするたびに黒いタンが混じって出るのを見て、「炭鉱は危険だし、石炭の粉をこう内で吸い続けている父さんの身体が心配」といつも言っていたんだよ。
そんなある朝、ジージの母さんは新聞を広げるや、大声でジージの父さんを呼んだ。
「あなた! 『カリブの楽園』ドミニカ共和国への移民ぼ集ってあるわ。行きましょうよ!」この記事で一家全員の運命が決まった。
宝くじのような確率で移民が決まり、一九五七年の二月五日。ジージたち一家を乗せたあふりか丸は、横浜港を出たあと、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、パナマ運河を通って、三十日かけて三月七日ドミニカ共和国の首都の、トルヒージョ港(現サントドミンゴ港)に着いたんだ。
そこから、このお話は始まる。
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