第一部
幼少期
子どもの頃、近所の友達と遊んでいたら、突然雨が降り始め、友達は急いで家に帰っていったが、私はその雨に打たれていたい気分になった。
私は、ただ目を瞑り空を見上げながら、髪も服もずぶ濡れになるまで雨を浴びた。
全身で雨を感じてみたかった。でも、それよりももっと深いものが、この世にはあるような気がした。雨に濡れるという単純な感覚だけではなく、春夏秋冬、それぞれ独特の香りと雰囲気に感動を覚えるようになっていき、その雰囲気や感覚を何かで表現したいと、綴る詩の他に、写真を撮ることが自然と好きになっていった。
今思うと、当時は一種の現実逃避でもあったのかもしれない。
大人はもちろん、自分自身も含め、人間という生き物は腹黒く、汚らわしく思えた。
音を奏でる美しい楽曲や、空や雨、季節の色とりどりの草花はとても神秘的で、中でも草花は雨と太陽という二つの必然ともいえる、自然のサイクルで美しい草花を咲かせる。
乾いてひび割れた地面も、雨が降ると滑らかになり、とても満ち足りていくように私には見えた。
ひまわりは、太陽の方向へと咲くと何かで知ったとき、ネガティブな考えだけに囚われている自分とはまったく正反対で、明るい方へと目指して咲く向日葵たちに憧れた。
私も、向日葵のようになりたい。そう強く思った。それは今でも変わらず、向日葵は、私にとって特別で眩しい存在のひとつだ。
11歳〜13歳の頃に書いた詩を、大人になった今読み返してみると、あの頃の感覚が鮮明に蘇る。
私は、あの頃何を感じ、何を思い生きていたのか。
思い浮かんだ言葉を綴り始めた頃、自然と始めたのが日記だった。