第一部

幼少期

振り回される心、感情そのものがなくなったら、人は人形のようになっていくことを知った。

でも、人形のようになったという自覚が当時はなく、ただこの方法で楽になれたということだけだったけれど、後になって振り返って考えると、心、喜怒哀楽がないなんて、血の通っていない人形ではないか……。

当時の写真は、どの場面の写真も表情がまったくなく、無表情に近い。

喜怒哀楽という私には邪魔だったものを切り捨てたことで、私は本当に楽になった。

ひとつひとつの出来事に一喜一憂していたら心がもたない。

人形のように変わってから、家にいても苦痛を感じなくなった。

何を言われても、言われた言葉たちは心ではなく、まず頭にしまう癖がつき始めた。

その言葉の意味や理由、疑問を、まず頭で認識し、分析して、それに対してどう対応すればいいのかだけを考えるだけで済む。

TPOに合わせて、笑ったフリ、楽しそうなフリも次第に使い分けできるようにもなっていった。

そして、中学三年生になり高校受験に向けて、学校側、担任の先生や父親も含め、学校へ行かせようとする動きが始まった。