静かだった。東京とは格段の相違だった。あそこでは実に色々なものを見た。初めの頃は夕方の駅に集う男女を怪訝な思いで見ていた。やがて恋人が現れると女性たちの表情はぱっと輝いた。本当にうれしそうで仕草が可憐だった。見ていて胸の温まるのを感じたのだ。
人間って本当にいいなと思った。あそこでは、あの黴臭い部屋では殺風景で澱んだような時の流れがあるのみだった。季節もなかった。それがどうだろう、何という艶やかさだろう、生命というものは時と場所であんなにも輝くものなのだろうか。
一方ではくたびれた風情の男たちもいた。額に深い皴を刻みつけ、背を丸めてとぼとぼ歩いていた。まるで色彩のない人たちだった。同じ人間なのにどうしてこんなにも違うのだろうと思ったのだ。
それだけではなかった。一度葬列に出会ったこともある。嘆き悲しむ人たち、黒装束の女性たち、今にも崩折れそうな風情が印象的だった。いいことも悪いこともある、うれしいことも哀しいこともある、それが生きているということなのだと思った。
そうだ、人間っていいなと思ったのだ。全てはそこから始まった。わいわいと元気がよくて、一所懸命勉強して、泣いたり笑ったりして大きくなっていく。やがて学校を出て、社会へ出ていくのだ。それを目にして自分も人と接してみよう、社会へ出てみようと思ったのだ。
霧が晴れてきた。あるところで霧が薄れると、少しずつ青空が覗いてきた。するとそれは見る見るうちに領域を拡げ、急に太陽が現れた。骸骨は思わず目を覆った。眩しさで暫らく目を開けていられぬ程だった。濡れた衣服からぽやぽやと湯気が立ち昇り、少しずつ身体が温まってきた。
時々風が吹いて笹の葉や木々の梢がさやさやと鳴った。鳥の声が聞こえ、バッタが頭越しに跳ねたりした。森の爽やかな匂いがして、傍らの草にもぞもぞとイモ虫の這っているのが見えた。
「みんな生きて‥‥イルンダナ」
そう呟くと面を上げた。
【前回の記事を読む】「実はねえ、オレ見てたんすよ」タクシー運転手は暗がりの小道に入っていく骸骨の姿を見ていたと言うが...?
次回更新は11月15日(金)、11時の予定です。