【前回の記事を読む】「お前、ちょっと匂うぞ、この前いつ入ったんだ?」そう言って浴室に向かわせ、そっと覗きこんだ。そこに見えたのは…
其の参
[五]
源造は何かを躊躇していたが、次いで中へ入ると、骸骨の膝に分厚い封筒を置いた。その時酒の匂いがぷんと鼻を突いた。
「ナ、何‥‥デスカ?」
「今までの給料と、それから餞別だ」
「コ、コンナニ、イ、戴ク訳ニハ‥‥」
そのことばを手で制すると、凝然と骸骨を見つめた。
「いや、金はあった方がいい。あのクソ医者にはたっぷり薬を飲ませた。だが駅を一つか二つずらして、用心した方がいい」
骸骨は全てを了解した。みんな伊藤医師の仕業なのだ。
「急で済まないが頼む、わしの気持ちも‥‥分かってくれ」
そう言って肩を掴んだ手は震えていた。だがもう何も言わなかった。そしてくるりと背を向けるとすたすたと出ていった。
骸骨は一時ぽかんとしていた。だが気を取り直すと辺りをきょろきょろと窺った。支度といっても何もなかった。ふと思いついて、木っ端を拾うと土間にサヨナラと記した。だがこれも呆気ないのでアリガトウと書いてみた。それも気に入らなくてオ元気デと書いてみたり、あれこれと思いつく文字を並べてみた。だがどれもみな味気なかった。
「カ、和美チャン、本当ニ有難トウ」
そう呟くと、切なくて身体が震えてきた。骸骨は拳を握り締めた。別離が堪え難かった。だが行かなくてはならないのだ。渾身の力で立ち上がると、骸骨は土間の文字を掌で消した。何も言わず出ていくのだ。だから何も残すべきではない。