戦跡が、朝立岩を下った直ぐ右のガジュマルの奥にあるのですが、先を急ぐということで、同行の戸田さんの了解を得て通過です。しかし、どうも興味があるらしく、「そうですか!」という落胆するような声が返ってきます。大塚も、説明をしておいて冷たいものです。

因みに戦跡は、村の調査資料「朝立岩野砲陣地」の名称で、三八式十二糎榴弾(せんちりゅうだん)砲二門が破壊された状態で残存してあるのです。

十一時五分ルートである通常の遊歩道に出ます。帰りは、躑躅山ルートではなく、この地点から淡々とした下り登りの帰路だと思うと気が滅入ってきます。

その分岐点を難なく通過して、平坦な稜線の遊歩道を快調に進んでいきます。当時は、しっかりした軍用道路が整備されていたことでしょう。それを物語るように、道端の山側の掘り込み二箇所に、車輪の付いた台車らしき物が朽ちて残存してあります。何の台車であったのだろうかと、二人して推測したりするのです。

西海岸行きの遊歩道に合流して、平坦な中腹に設置された山道をどんどん距離を稼いでいきます。時期的にも、本来ならば観ることの出来ない固有種の花も咲いているのでもなく、また、変化のそれ程ない無い普通の歩き易い遊歩道となっている山道を、時に切り株、倒木を跨ぎながら二人無口になって進んでいきます。

本日の「千尋岩」への目的からして、普段は最短の衝立山への直登ルートを選ぶのですが、変化を求めて初めてのコースから千尋岩行きの決断です。若干不安がよぎります。

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