第三章 おがさわら体験

一 「躑躅(つつじ)山」と「千尋(ちひろ)岩」

暫く前となるのですが、ガイドの井村さんがお客さんを途中まで案内してきて、ここから登っていけば通常のコースに出ることを説明していたということもあって、行くしかないというのが決断の理由です。

十一時二五分、単調さに飽きる頃、戦前、奥山さんという人が住んでいたという「通称『旧奥山邸』跡」に到着です。

この場所は、見事なまでにガジュマルが成長しており、西海岸等こちらの方面の色々な場所に行くに際して、皆さんが休息する場所ともなっています。時には、ガジュマルの木根を結んで、急造のブランコにより楽しんだりも出来ます。

ここで、若干早いのですが腹もすいたこともあって、昼食です。戸田さんが、仕事に関係する内容を中心に、港湾課長として役に立つ会話(?)を、暫し、食べながら飽きることなくやり取りとなります。

昼食も終わって、さあーここからが登りです。だいたいの目的方向は分かるのですが、踏み跡がはっきりしません。直登すべき所を、三角形状に回り道をしたことになります。

しかし、途中から、しっかりした踏み跡に出て、若干の草木を掻き分けながら淡々と進んでいきます。

十一時五五分、遊歩道脇にある旧日本軍の車両の残骸の場所に到着です。改めて写真撮影です。戸田さんが例によって盛んに感心しています。五トンクラスの搬送車とのこと、板バネがそれを物語っているのだというのです。なかなかの専門家です。

十二時、分岐点手前の塹壕、初めて中に入ることとします。いつも塹壕の上を通過しているのですが、今まで中に入ることはありませんでしたが、素掘りの塹壕です。反対側の出口部分もコンクリートが不足していたのでしょう。造りが粗雑な状態で今一です。

十二時三分、遊歩道を登り切った衝立山の稜線である二方向の分岐点に到着です。さらに、稜線沿いに遊歩道が延びています。ここは、昔、見事なまでに見通しの利く監視の軍用道路であったことが想定されます。