第二章 おがさわら紹介

四 田折家総括録

内容から、日々の生活すること自体大変な中、夜なべをしながら、そして薄暗いランプのもとで一日を振り返りながら、懸命に記録を残そうと作業に当たったことは想像に難くないところであり、さらには、紙も満足にあったのでしょうか?

田折幸太郎さんの綴った行間から教養の深さを感ずると同時に、逞しく一家が生活されていた実体に想いを馳せるのです。

さらには、集合写真を拝見して、何方が田折幸太郎さんで、そして、男性のお孫さんは写真からお一人のようですからこの方が先代と勝手に思ったりするのでした。

こうした母島開拓の歴史は、そして、一端とはなるでしょうが、帰島が許されて母島に戻っての再入植、そして、疎開から二十数年が経過し、自然に還ってしまった元畑地を再開墾することの懸命な労作業、田折さん含めた先人たちのご苦労された実体・功績を、是非共、誰かが現代に紹介しなければならないと考えるのです……。

「剣先山」からの母島「元地」集落

第三章 おがさわら体験

小笠原に赴任して多くを体験する、また、記録を残す中で紙面の都合上、一部とはなりますが、山行編から三題、ダイブ編から二題を抽出して、赴任時の想い出を紹介させて頂きます。

当時、休憩の度に記録した情景描写と共に経過時間もメモり、その時間も記載しました。今はその時間では歩けないでしょうが、コースタイムとして是非想像しながら読んで頂ければ幸いです。

一 「躑躅(つつじ)山」と「千尋(ちひろ)岩」

本内容は、父島を代表する二箇所を訪れた平成十六(二〇〇四)年一月二四日(土)九時~十六時二五分の記録となります。

「ムニンツツジ」と保護増殖対策については、別稿で紹介しますが、ムニンツツジの里「躑躅山」、飛行場建設予定地であった「時雨山周辺域」とはどのような場所であったのかお伝えできればと思います。