三.國造(くにのみやっこ)
さて、次に解明しなければならないのは、古代の我が国の各地にいたといわれている「國造(くにのみやっこ)」です。記紀にも「國造」という言葉が沢山出てきます。そこでこれから「國造」と、同じような意味で記述されている「稲置(いなぎ)・縣主(あがたぬし)」などと併せて考察してみます。
先ず、國造本紀にある、記述を見てみることにします。「國造本紀」というのは「旧事本紀」という、主に物部氏・尾張氏の系図を中心に述べられている九世紀初頭に成立したと考えられている歴史書(国史ではない)の巻十のことです。神武帝が「東征に功績のあったものを褒めて、國造に定められた。また、逆らうものは誅し、縣主を定められた。これが國造、縣主の由来である」とあります。
ここでいう「東征」というのは「神武東征」のことで、日向にいた「イワレヒコ尊(後の神武帝)」が我が国を治める良いところはどこかと考え、九州から瀬戸内海沿岸を攻め上って、奈良の磐余に王権を立てたという神話です。
先ず、全ての國造を神武帝の時代に定めてはいませんから、この文章の意味するところは、「歴代の大王は、現地の帰順した國には功績のあった(帰順した)者を國造として認め、帰順せず逆らったところは、征伐して縣主(あがたぬし)を置いた」と捉えることができます。
即ち、「國造」というのは大王に恭順した地域の「國の長」として、大王が認めた証しの呼び名と考えられるのです。そこで、國造という言葉の意味について考えます。
「くにのみやっこ」という意味は、我が国の言葉ですから「國の王の僕(しもべ)」という意味になります。「みやっこ」とは「王のしもべ」という意味ですが、問題は「みやっこ」に「造」の字をなぜ当てたかです。
「造」は「造る・始める・稲が熟すこと・上士」などの意味があります。このうち「上士」というのは「兵の位の上中下の上」ですから「士長」即ち「兵達の長」を意味しています。また、「國」は「郊の内(郊は国境・田野)、四角い郭の内」を意味しています。
即ち、國造というのは「田野の(王のしもべの)守護職」という意味だと考えられるのです。國造の分析を進めると、近隣に侵食して大きくなった國造がいることがわかったのです。もちろん、反対に衰えて無くなってしまった國造もいたようです
國造の盛衰
さて、國造本紀等による百三十程の國造の分布を和名抄の地名と外形的に見比べてみます。「和名抄」には国郡制以降の六十六の国(+二島)の名とそれぞれに、合わせて五百八十九の郡名、更にその郡には計三千九百二十九のより小さな地域名(以後「里」とします)が記載されています。
「和名抄」というのは平安中期の十世紀初頭に源順(みなもとのしたごう)が編纂したと言われている「和名類聚抄」のことで、当時の国語辞典・漢和辞典・百科事典とも言われているものです。
そこで國造の名称と同じ地名を和名抄の地名と比較、整理して分類したものが次表で、その例を表中の記号A~Gにしたがって以下に掲載いたしました(國造本紀以外の國造も含む)。これらの表は煩雑ですので読み飛ばして、後で確認していただいても結構です。