さて、書紀では神武帝以来孝徳帝に至るまで「國造」と「屯倉」は併存しています。にもかかわらず、「和名抄」に表われる地名でこの両者が重なっていないのです(伊甚の屯倉と伊甚の國造、淡路の屯倉と淡路の國造については、それぞれ時期がずれています)。ということは、その両者の立場が異なっていたことを物語っているのです。更に、王権により「屯倉」が建てられたということは、前にも述べましたが、それまで自立していた邑…
[連載]僕の古代史
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歴史・地理『僕の古代史』【第10回】橋本 正浩
【古事記・日本書紀】屯倉と國造…同じ役割なのに違う呼び名―!? その鍵は、王権に従いも滅ぼされもしていない豪族たち!
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歴史・地理『僕の古代史』【第9回】橋本 正浩
一見すると役割が同じ「屯倉」と「國造」。ではなぜ、呼び名が異なるのだろうか。
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歴史・地理『僕の古代史』【第8回】橋本 正浩
古代日本の各地に存在した國造(くにのみやっこ)。それは「國の長」として、大王が認めた証しの呼び名と考えられている。
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歴史・地理『僕の古代史』【第7回】橋本 正浩
任那(みまな)という命名は南朝に朝貢していた倭の五王の王権によるもの!?
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歴史・地理『僕の古代史』【第6回】橋本 正浩
日本書紀や宋書など一部の記録にしかない「任那・みまな」の意味とは?
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歴史・地理『僕の古代史』【第5回】橋本 正浩
「官家」は「官(つかさ)の家」なので「役所」。これを「みやけ」と呼ぶには抵抗がある
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歴史・地理『僕の古代史』【第4回】橋本 正浩
朝廷の直轄領を表す「屯倉(みやけ)」。民衆にとっては「穀物倉庫=御宅(豪族の屋敷)」
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歴史・地理『僕の古代史』【第3回】橋本 正浩
故郷を「国」と呼ぶ理由は?古代の「みやけ」=里、郷=クニの名残!
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歴史・地理『僕の古代史』【第2回】橋本 正浩
国家が先か屯倉(みやけ)が先か?「みやけ」の本来の意味は…
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歴史・地理『僕の古代史』【新連載】橋本 正浩
稲作の広がりに併せて全国に広がった、古代社会の基盤と思われる「みやけ」の解明