楽しい大学生活

初めて見る編集部にきょろきょろしながら通された別室に座ると、ソバージュの長い髪をした、今で言う平野ノラさんのような女性が現れた。オレンジ色のスーツを着たノラさんは、軽く私に挨拶して、私の絵を見てくれた。

「うん……、この絵はまあ、いいね」

ひと通り見た後、ノラさんはそばにあった雑誌のイラストページを開いて、私に見せた。

「これ、こういう線の太さ、ぱっと見て、印象的な感じ? こういう力強さが大事なの。分かる? あなたの絵は、ほら……、線が細いでしょ? これは、まあいいけど」

そう言って椅子に座り直し、足を組んで、煙草に火をつけた。ふーっと、煙が横に舞う。都会だ、都会だ……。

私は圧倒された。私は上目使いにノラさんを見つめた。

「がんばってね」

私の持ち込みはそれで終わった。

頭を下げてS社を出たあと、私は満足感に満たされた。ルンルン気分で東京の街を歩く。

なんだかスキップしたい気分だ。なにかしらのアクションを起こせたことが、嬉しかったから。たとえ挑戦が全くの不発に終わったとしても。

卒業まであとわずかという頃、最後に教授がゼミ生を全員東京の自宅に招いて、ご飯をご馳走してくれた。教授の奥様手作りの、フルコースランチである。

どれもとてもおいしく、お腹がはち切れんばかりの量だった。最後のケーキに至るまで、すべて手作りだった。良き友人と、温かく、親切な教授に出会えて、幸せな四年間だった。

ただいま鹿児島

一九九六年。就職が決まらないまま実家に帰った私を、両親は喜んで迎えてくれた。

「おかえり」

相変わらず酔ったような声で、嬉しそうに父が言った。父は酒の飲みすぎで体を壊し、半分介護が必要な状態になっていた。一日中、テレビの前に座って、時折酒を飲んでいる。飲ませないと大声を出して荒れるのだ。母も仕方なく、少しずつ与えていた。

自分にどうにかできることでもない。私は淡々と母の手伝いをするだけだった。

しかし、車の免許は取らないといけない。今後就職するにしろ、家業の弁当配達を手伝うにしろ、必要なものだった。弁当の配達は、その時はパートのおばさんに頼んでやってもらっていたのだ。

母は免許は持っていない。

私は自動車学校に入った。

教官はうちの父の知り合いのおじさんだった。私は、嫌な予感がした。

今でこそ生徒に丁寧な指導をするようになっているようだが、その当時の教官は生徒に厳しかった。知り合いなら、なおさらである。

校内のコースですずめに驚いて急ブレーキを踏んだ私に、おじさんは怒った。