「ないかあ!」

「だって、すずめが……」

「すずめがないかあ! お前んちは弁当屋やろがあ! 焼き鳥にして食わんかあ!」

こんな調子であった。卒検も二回落ちた。落ちるたびに、四千円払って、次のチケットを買わねばならない。教習所代は、母が出している。

三回目も落ちたとき、私はハンドルを握りしめて泣いた。

「なんで受からしてくれないんですか。お母さんにまたお金をもらわないといけない。お母さんは大変なのに、お父さんがめちゃくちゃで大変なのに!」涙でひくひくしながら私は言った。

おじさんは、

「そげんゆたちい、こげな運転で通らすわけにいかんがあ! お前の父ちゃんは、そげな父ちゃんでも、世界に一人の父ちゃんやろがあ!」

「あんなお父さん、嫌いだもん!」

ぼろぼろに泣いたまま、その日の教習は終わった。トイレに行って鏡で自分を見ると、完全に泣いたひどい顔になっていた。手のひらで顔をパタパタあおいで、少しまともな顔になってから、受付に次のチケットを買いにいった。

すると、受付のお姉さんが、ものすごく悲しそうな顔をして、私に言った。

「小梨さん……がんばってね……」泣いたのがばれてる? なんで?

私は動揺しながら、自転車を漕いで家に帰った。そして、四回目の試験でようやく合格。ものすごい重ステ(ノンパワーステアリング)の中古車を手に入れた私は、かねてから欲しかった司書の資格を取り、臨時採用ではあるが、就職することになった。

やっとまともな仕事に就ける。

私は嬉しかった。

毎日夢中になって働いた。

働き始めて間もなく、新任の職員は、地元の主な公的機関や新聞社に就任の挨拶に行くことになった。その中の一つ、小さな新聞社の名前を見て、私はあることを思い出した。

そこは、父がまだ自由に動けていたころ、警察に一晩御用となったとき、唯一そのことを掲載した新聞社だったのだ。確か、父は警察官に蹴りを一発お見舞いしたのだった。

私は、複雑な気持ちになった。

あれは、いつごろの出来事だったろうか。

父の酒に関する逸話はいろいろ数がありすぎて、私もはっきりしたことは覚えていない。

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