ただいま鹿児島
とにかく一晩警察に厄介になった父を迎えに行った母は、そのときいろいろと事情聴取されたと言っていた。そこでは、おそらく私も知らない父との壮絶な出来事が語られたのだろう。父は、人生で幾度か、酒で大きく落ち込んだときがあったと母は言っていた。母も辛かったと思う。しかし、母は常に前を向く人だった。大変なことがあっても、それで悲嘆にくれて立ち止まることはしない人だった。
「里子ちゃん、ないごともな、負けてたまるか、ち思わないかんど」母に幾度となく言われた言葉だ。母は、警察に父のことを話し終わった後、まるで何かのドラマの内容を語っているような気持ちになったと言っていた。話を聞いたお巡りさんは、「立派なご主人じゃないですか」と言ったという。
そう、父も、ただの飲んだくれではなかった。まともに働いた時期もあったのだ。人の前に立つのが好きで、わがままではあるものの人の世話をやこうと一所懸命になることも多かった。
クラシック音楽を愛し、政治にも関心が高く、仕事が暇なときはパートのおばさんたちを連れてあちこち行楽に行くような人でもあった。それが、友人の死であったり、立ち上げた商売がうまくいかなかったりと、失敗を重ねる度に酒におぼれるようになっていったのだ。
自然の良さを私に伝えようとしてくれたのも、父だった。団子を包む葉を取ろうと、田舎の山に連れて行ってくれたり、春になれば古参竹(布袋竹(ほていちく))取り、冷たい沢に罠を仕掛けた山太郎ガニ取り……。
どれも、今ではなかなか体験できない貴重なものだ。その頃は酔って荒れる父が恐ろしく、一緒に行くのが嫌な時もあった。が、今思えば、なんて素晴らしい体験をさせてもらったことだろう。
私が小学六年の頃、地元に大雨が降ったことがあった。父が服を濡らして帰ってきてこう言った。「そこの側溝にさ、ランドセルが見えたからよ、引っ張ったら子どもやった」そう言って笑うのだ。つまり、人助けをしたと言う。
私は信じなかった。よく酔っぱらう父の言うことなど、信用できない。おおげさなほらだろうと思ったのだ。ところが翌日、学校の朝の会の時、担任の先生が私に、「君のお父さん、人を助けなかったか?」と言うではないか。「え、ああ……。多分」あれは本当だったのか。私は驚いた。
そんな色々な思いがよぎる中、新聞社に挨拶をすませ、帰宅した。「○○社に挨拶に行ったよ」そう母に告げると、「あん新聞社は父さんのことを載せたとこじゃ。他んところは載せなかったのに、あそこだけが記事を載せた」と母は歯がゆそうに言った。