この対話からは、叩き方(腕の角度、等)とニュアンス(優しく、等)が混同されたことが読み取れます。これらは分別して考えることが必要であったと考えられます。後半の演奏の活動時に、優しく叩けているものの、弱々しすぎる子どもが見られる展開になりました。両立が難しい表現については、その理由を一層掘り下げ、叩き方の違いを明確にする必要があるといえます。

教師:みんなは、試しながら、面白い音ができたと、自分で発見してた人いたけど、それ発表してくれる人いる? 違う音出たよって(数人が手を挙げる)→じゃあ、聴かせてもらってもいい?(一人指名)→  

児童:(コンと叩く)→

教師:すごい、大発見だ!

教師は子どもができたことを褒めるのではなく、思考したという行為について評価することを考慮することが大切です。これは〈1-4〉〈2-1〉で述べたように、技能に偏ることを防ぐ意味でも重要です。なお、この授業の板書は【図10】の通りです。

【図10】本実践の板書

このように、教師と子ども、または子どもと子ども同士の対話により、基本的な奏法や曲想に応じた奏法の変化の表現法を獲得していきます。「ジャーン」という、いわゆるシンバルらしい音ばかりでなく、喜劇等に活用できるような「パホン」という、いわば通常では失敗と思われるような音にも、適用できる場面があることを見いだしていくことが重要です。

仮に「ジャーン」を正しい奏法とするならば、そればかりを追求すると「パホン」という音を間違い、あるいは下手、と見なすことになりますが、それはまさに断片的な技能に留まる捉え方であり、音そのものを豊かに感じ取ることとは異なります。正解は無数にある、間違いと思われるものにも活用法がある、という豊かな捉え方を目指すことが重要であると考えます。

なお、参考までに、この実践の結果、子どもたちの意識の変化が次ページの【表2】のように見られました。