フルールにはしばらく待っていてもらい、リリーは、母親からゆずり受けた乗馬服に着替えました。

やわらかなクリーム色のジャケットには、淡いピンク色や水色、若草色の糸で美しい花の刺繍がほどこされています。刺繍のところどころには金色の糸も使われており、光に当たるたびに上品に輝きました。茶色のロングブーツは、深い赤色の紐を結んで履くデザインになっています。

どちらも、リリーの大切な宝物です。

仕上げに長い髪をポニーテールにし、ブーツの紐と同じ色のリボンを結びました。身支度をひとつずつ済ませていくたびに、リリーの気持ちも、きゅっと引き締まっていきます。

「これでよしっ」

鏡に映った自分の姿は、いつもよりぐっと大人びて見えます。

「うん、大丈夫」

リリーは、自分に言い聞かせるようにつぶやきました。

本当は、この日が来るたび、ほんの少しだけ怖いのです。

「春を呼ぶ少女」として今日の仕事を終え、村が春を迎えたときが。

「春を呼ぶ少女」としてのリリーを求められなくなる、その時間が。

村の人たちはみんなやさしく、「春を呼ぶ少女」ではないリリーのことも、きちんと受け入れてくれることは分かっています。

それでも、時折、「もし私が『春を呼ぶ少女』じゃなかったら……」と考えてしまうのでした。「春を呼ぶ少女」という名前を取り去ってしまえば、リリーは、この村に住むただの少女なのです。

リリーは、大きく息を吐き出して、壁に飾られた絵を見上げます。

それは、あの物語の中に出てくるいちばん最初の「春を呼ぶ少女」を描いた絵でした。

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