また、文献中の「生まれること」という言葉は、経験的な自我や自我の構成要素を意味する「五蘊」という言葉や「迷いの生存」という言葉とともに使われることが多いように思われます。
『個人存在を構成する五つの要素(五蘊)は、完全に知られて、根絶やしにされて存続している。生まれることを繰り返す迷いの生存が滅びてしまった。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。』(テーラガーター 90)
この場合には、存在を構成する五つの要素、つまり五蘊から成る「迷いの生存」が「生まれること」を繰り返すと読めます。
『聡明なる人は、再び迷いの生存に生まれないために、心のこれらの思考作用をことごとく捨てる。』 (ウダーナヴァルガ 31-34)
ここでは、心の思考作用によって「迷いの生存」として再び「生まれること」を否定しています。
『この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。』(ウダーナヴァルガ 27-6)
『束縛から迷いの生存が生じ、束縛を離れることから迷いの生存が滅びる。』(ウダーナヴァルガ 29-40)
ここでの虚妄の束縛は、「五蘊の束縛」を意味し、煩悩の束縛は、「無明の束縛」を意味していると思われます。
五蘊の束縛により迷いの生存が生まれ、五蘊の束縛から離れると迷いの生存が消滅すると語られます。
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