「これぞ伊達者と名高い伊達のお殿様にして、片倉様の如き家臣あり。仕官のし甲斐(がい)がある家と思います、父上」

「おぬしの申すとおりじゃ。聞いたか三右衛門。片倉様は、伊達の殿様の申されよう、三河守様への苦言、豊臣家に『草』を放つ話まで……

初めて会(お)うた、浪散の身の我らにする話ではない。それだけ我らに信を置いて下され、忌憚なく思うところを話された。

葛西旧臣の我ら、所詮は他所者のはず。それをここまで快く、伊達家に迎えようとなされているのだ」

「そうですな、父上。それがしも驚いてござる」

「それに、あの奸臣(かんしん)の悪名高き大内勘解由……もとい、あの勘解由様が手の平を返して惚れ込むほどの殿様とは、いかほどのお方であろうか。

家中のお歴々の出奔はちと気になるが……。三右衛門、国に帰ったらともに汗を流して働こう。屋敷も早く建て直したいものだ」

「はい、父上!」

京見物を終えた二人は、これから待つ新たな役目と暮らしの建て直しに気を引き締めながら、無事に国元へ帰還した。

帰還前、信氏は新たな主君となる伊達政宗から発せられた「知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)」を受け取り、この書状をもって信氏は、正式に伊達家家臣の一員となった(この知行宛行状の内容については、のちほど記す)。

さて、このしばらくあと……この年の九月五日、伏見を震源とする巨大地震が発生、世にいう「慶長伏見大地震」である。

信氏・氏定親子が訪れた伏見伊達屋敷は、伏見城ともども、あえなく倒壊してしまった。完成からわずか数か月の出来事だった。

前述のとおり、城・屋敷は巨椋池の岸辺にあり、地盤が軟弱であったことが、被害を大きくしたのである。


1)重畳 この上もなく満足なこと、結構なこと。

 

【前回の記事を読む】国へ帰ることもできず、大切な家臣も、母も失った伊達政宗は嘆くことしかできなかった……

 

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