「それも=薔薇が咲き始めます。=というだけの、たった数行」低く抑えた声はかえって強い非難を含んで響いた。

「何か作為的なものか、それとも誰かのトリックではと疑ったわ。まあ、何年もの後に死者からの手紙が届くという話はたまに聞くけど」

「ごめんなさい」しばらく後に典子はどうにか声を出した。「そう誤解されても仕方ないわ。こんなにも長い……」

そう言った後に、続ける言葉に迷った。別離やご無沙汰がふさわしい言葉とは思えなかった。

「ええ、きっとそう思われたに違いないわ」震え声が擦れた。茉莉に宛てた手紙……意を決してペンを取ったものの、迷い迷い、何度も書き直した。

しかしそれも封を閉じる時になって心が揺らいだ。結局数行だけの書信になってしまった。―― どんなふうにとられても仕方がないのだ―― あの日の別れから、考えもつかない年月が経ってしまったのだから。

俯いた典子の目に改めて茉莉の出(い)で立ちが映った。きりっとした折り目のパンツ、それに色のあったシャープな形のハイヒール。

―― そうだわ、無理のない事なのだわ―― 典子は同じ事を自分に言い聞かせる。

―― 茉莉の一見冷酷そうな表情にしても、それは装いやメークのせいなのだ。―― マリのこんなふうな姿など想像して見る事もなかった。

―― でもそれは自然の事なのだ。外見や容貌が変わったのは私も同じ事なのだから……。

でもその声、紛れもないマリの声。誰かが言っていた。容貌は変わっても声は変わらないと。その通りだわ、少しも変わらない茉莉の声。茉莉はマリなのだわ。

シニカルな言い方にしても、昔からそうだった。突然の事に私が狼狽しているだけなのだ。冷静になって、この日にふさわしい顔を見せなければ。何か気の利いた事を言わなければ……しかしどんな言葉が……――

「いつまで、そうしているつもり?」と言う声に突かれて典子はハッと顔を起こした。まっすぐに見つめる目には、揶揄するような色が浮かんでいる。 

「ごめんなさい、すっかり取り乱して」 

「もういいわよ、ご本人だとわかったから」茉莉は不快の色を見せて言った。

「何がどうであれ、話はゆっくり伺うわよ」 

「ええ、そうよ、そうだわ!」典子は茉莉に向けた顔に懸命に笑みを作った。

「本当にこんな遠くまで来てくださったというのに、いつまでもこんな所でおかしいわ」、不意の進展に狼狽(うろた)えながら言った。

「お話はゆっくりとできるわ」

典子がそう言うのを冷ややかに見やった後に、茉莉は「ちょっと寄ってみようかという気持ちになったのよ、成田に向かうついでに」と物でも片付けるように言った。

【前回の記事を読む】青いシャドーに真紅のルージュをひいた友人。二十年ぶりの再会に嬉しいはずが… …

 

【イチオシ記事】我が子を虐待してしまった母親の悲痛な境遇。看護学生が助産師を志した理由とは

【注目記事】あの日、同じように妻を抱きしめていたのなら…。泣いている義姉をソファーに横たえ、そして…