小屋の入り口にかかった筵(むしろ)を開けると、まだ囲炉裏に火が残っている。水瓶から水を鍋に入れて、囲炉裏にかける。老師が戻らないうちに、今日の食事の支度をしておかなければならない。
一掴みの米と芋を鍋に入れた。あとは煮えたら、菜を一束入れればいい。蝶英が火の加減を見ていると、外に老師の気配がする。気がつくと、既に後ろに立っている。
静かに蝶英の頭に手を置いた。まだまだ老師の動きには、ついていけない。蝶英が小さく頭を下げると、老師も笑う。
「さあ、蝶英、飯にしよう」
そう言うと、蝶英に向かい合うように腰を下ろした。
食事が終わると、老師はいつものように姿を消した。蝶英は、一人で丘に出て、木剣を振るう。今日も肩が上がらなくなるまで振る。それが老師の教えだった。
手を抜けば、すぐにわかってしまう。蝶英が物心がついてから、この日々の繰り返しだった。鍛練の質や量は、徐々に変化はしたものの、朝の体術、昼の素振り、そして、これからの夜の立ち合い稽古は変わらない。
蝶英は両親の顔も名前も知らない。今の蝶英という名さえ、後に老師がつけたものだ。どうして、自分が老師と共に暮らして、ただ一人の弟子としてその鍛練を受けているのか。それも知らない。初めから、そういうものだと思っていた。
ときどき里で見かける娘や男の子たち。彼らも朝から晩まで親と一緒に畑仕事をしている。
それと、同じことだ。老師の家の自分は鍛練、里の家の彼らは畑仕事。
蝶英は汗を拭いながら、無心に木剣を振るう。
その夜、滅多にないことだが、老師は帰ってこなかった。