【前回の記事を読む】第二次世界大戦下…米英間で結ばれた「ハイドパーク協定」とは
アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」
ブッシュの原爆の国連管理提案
ルーズベルトはハイドパーク会談の四日後の一九四四年九月二二日に科学研究開発局局長のバーネバー・ブッシュと一時間半にわたって会談しました。
ブッシュはここで大統領から原爆の使用法について相談を受けたようです。ここでブッシュは、大統領が戦後においても英米による原子力独占を維持する考えであるらしいという印象を強く受けてホワイトハウスを辞しました。
この会談におけるルーズベルトの言葉の端には、彼がチャーチルの見解にすでに同意していたことが現れていました。
ブッシュは、大統領に会った翌日ただちにジェームズ・コナント(ハーバード大学総長及び国防開発委員会議長)と相談して「この問題(原子力)の国際関係一般に及ぼす影響や戦後処理に関して、大統領の要請がなくても助言すべきである」と考え、一九四四年九月三〇日に陸軍長官スティムソンに二つの覚書を提出しました。
一つには次のように記されていました。
①これは、来年夏までには軍事上きわめて重要な案件となる。
②戦争終結後に科学技術が急速に進歩し、軍事がその他の分野を圧倒する局面が生まれるものと思われる。
③現在、アメリカは一時的に優位な立場を占めているとはいえ、その優位性を失う恐れがあるばかりか、立場が逆転することも考えられる。
④本件に関する基礎知識は広く知れ渡っていることから、秘密を厳守することによってアメリカの安全保障を確保しようとする試みは無謀だと思われる。
⑤原材料(ウラン鉱)の供給の抑制によってその使用に制限を加えようとする試みは、本件が将来的にとりうる具体的な形態を顧慮すれば、まったく不可能である。
⑥本件に関する科学技術の国際的な交流を徹底して行うとともに、国家の国際的な連合体を組織し(この頃ルーズベルトは国連の原案を国務省に検討させていました)、その下部組織としてそれを支援し、査察の権限を持つ委員会を設けることができれば、本件にもとづく軍拡競争を防止できる可能性ばかりか、将来の世界平和をさらに推進できるとの希望が持てないわけではない。
二つ目の文書で、この原子爆弾は、高性能爆薬一千~一万トンに相当する。これはB─29爆撃機一〇〇~一〇〇〇機相当分の損壊をもたらすことができる。
英米による現在の原子力独占を、今後三、四年以上にわたって維持することは不可能であろう。適切な科学的、技術的資源を有する国ならば英米に追いつくことができ、場合によっては、追い越すことさえ可能である。遠くない将来において、原子爆弾の一〇〇〇倍の破壊力を持つ水素爆弾の可能性がある。
主要人口密集地帯はすべて、先制攻撃をかける国の意のままになる状況下に置かれることになる。もはや安全保障は、機密を保持することによっても、あるいはウラン原鉱を支配することによっても確保できなくなる。
なぜならば、重水素の供給は、ほとんど無制限だからであるなどが記されていました。ブッシュはその後も、たびたび、スティムソンに会い原爆の国際管理について説きました。