【前回の記事を読む】原爆投下に反対した米国務省に、無知すぎた米大統領!?

目標都市として京都にこだわったグローヴス

そんな中、グローヴスがトルーマンのもとを訪れた二日後の一九四五年四月二七日にグローヴスは、原爆を日本のどこに投下するか話し合う目標検討委員会に出席し、話し合いの結果、川崎、横浜、東京湾、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、下関、小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本の一七ヶ所が選ばれました(一九四五年の暮れまでに、さらに一七発作るというのと符合します)。

その中で、京都と広島が有力候補に上がり、グローヴスは京都を上げました。その理由についてグローヴスは、「京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々に行き渡る都市に落としたかった」と語っていました。

その三日後グローヴスは、陸軍長官のスティムソンに呼び出され、「京都は認めない」と言われました。その訳は、イェール大学の図書館に保管されていますスティムソンの一九四五年六月六日付の日記に「この戦争を遂行するにあたって気がかりなことがある。アメリカがヒトラーを(しの)残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかということだ」と記していました。

実はスティムソンは京都を二度訪ねたことがあり、京都をよく知っていました。グローヴスは、諦めることなく何回もスティムソンと交渉をしましたが、結果は同じでした。グローヴスは何とか、戦争が終わる前に原爆を使用しなければならないと考えていましたが、その理由について彼は、「莫大な国家予算(二二億ドル)を費やした原爆が完成しているのに使わなければ、議会で厳しい追及を受けることになる」とその責任者として効果を証明しなければならなかったと言っていました。

トリニティ実験の五日後の七月二一日、ポツダムのスティムソンのもとに緊急の電報が届き、グローヴスらが再び京都を目標とするように言ってきたと知らせてきました。スティムソンの七月二四日付の日記には「私は京都を目標から外すべきだと大統領に伝えた。もし一般市民が暮らす京都に原爆を落とすという理不尽な行為をすれば、戦後の和解の芽をつみ、日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は『全く同感だ』と答えた」と記されていました。

また、トルーマンの七月二五日付の日記にも「この兵器は七月二五日から八月の間に使われようとしている。私はスティムソンに兵士や軍事物のみを目標とし、一般市民、特に女性や子供をターゲットにすることがないようにと言っておいた。……この点で私とスティムソンは完全に一致している。目標は軍事基地のみに限られる」と記されていました。

しかし、グローヴスは、それでも原爆による最大の破壊効果を得たいがためにもう一つの有力候補に上がっていた広島に目をつけ、広島は軍事都市であると偽りの報告書をトルーマンに提出しました。

トルーマンは(スティムソンも)広島について詳しく知らなかったのか、調べる暇がなかったのか、トルーマンが目標から広島を外すことはなかったようです。軍部官僚の執念深さが表れています。