【前回の記事を読む】疲弊したイギリス経済に兆した希望。アダム・スミスが「経済学の父」と呼ばれるワケ
第二章 産業資本主義
《一》イギリスの産業革命と産業資本主義の誕生
綿織物産業の機械化から始まった産業革命ー必要は発明の母
①飛び杼の発明。ジョン・ケイ(一七〇四~八〇年)は、一七三三年、飛び杼を発明しました。このため織機が高速化され、織物の生産性は三倍に高められ、産業革命を引き起こすきっかけとなりました。飛び杼の普及によって、旧来の糸車を使った紡績では綿糸生産能力が需要に追いつかなくなり、今度は糸の生産部門、つまり、紡績の分野での生産性の向上が必要でした。
②ジェニー紡績機の発明。ハーグリーブス(一七二〇~一七七八年)は、一七六四年頃に八本(のちに一六本に改良)の糸を同時に紡ぐことのできる多軸紡績機を発明し、ジェニー紡績機と命名しました。一番小さいものでも、労働者の六人から八人分の作業をすることができました。しかし、ジェニーの紡ぐ糸は細く軟らかく、横糸にしか適さなかったので、アークライトの発明まで、縦糸は亜麻糸が手紡車で紡がれていました。
③水力紡績機の発明。アークライト(一七三二~一七九二年)は、一七六九年に非常に強い糸を紡ぐことができるという画期的な紡績機を発明し、一四年間有効な特許をとりました。この強い糸を使えば、正真正銘の綿織物をつくることができるようになり、輸入品のインド綿布に劣らないものができるようになりました。
この機械は馬を使った大規模な紡績機でしたが、水力さえ得られれば、いくらでも大きくできるので、アークライトは、さっそくノッティンガムに水力を利用した工場を建設し、機械を据えつけて数百人の労働者を働かせて多量の綿糸を造り出すことに成功しました。これは本格的な工場制機械工業のはじまりとなりました。
④ミュール紡績機の発明。クロンプトン(一七五三~一八二七年)は、一七七九年に細くて丈夫な糸ができるミュール紡績機を発明しました(アークライト紡績機でつくられるのは太糸でした)。これにより、インド産に匹敵する品質の綿織物が大量生産されるようになりました。一八二〇~一八三〇年にミュール機は九〇〇個の紡錘をもつようになりました。紡績部門の発明が相次ぎ、良質で大量の糸が供給されるようになったので、今度はその糸を織る織布部門が追いつかなくなりました。