第一章 資本主義の誕生
《一》商業資本主義が生まれた中世イタリア
資本主義が生まれた中世のイタリア
ヨーロッパの中世も後半になってきますと、商業都市が発達し、その都市の中で「都市の空気は人間を自由にする」ことが起こりました。
都市の中の市民、「ブルジョワ」とは「城塞都市(ブール)」の住民のことを意味していましたが(このブールがブルジョアの語源です)、彼らは主従関係の網の目でおおわれた中世のヨーロッパ世界において、自分たちの権利、つまり、自由に考える権利を自分たちの手で守ろうとする人たちでした(資本主義では「自由」に経済を営むことが重要です)。
これが中世の専制政治の世界にポッカリと開いた自由の窓となりました。中世ヨーロッパでは都市が略奪の対象となることは非常にまれでした。権力が分散していて強力なものがいなかったことが幸いしました(ヨーロッパの地形は広大な平地の中国やアラブと違って複雑で強大な国家ができにくかったのです)。
権力者たちはライバルに打ち勝つために都市という「金の卵を産むガチョウ」を大切にするようになりました。多くの税を支払うことが可能な都市を優遇するために、王や領主たちは都市に自治や特権を許可するようになりました。領主の令状も、城壁にかこまれた都市の中では無効であり、場合によっては都市があからさまに反封建制の立場をとることもありました(中国やイスラムの世界では専制政治が強くて、本格的な資本主義に発展しませんでした)。
イタリアのコムーネ(自治共同体)運動に似た動きが起こってきました。彼らはギルドや結社、組合といった独自の新しい組織をつくり、そのことによって大きな力を手にするようになっていきました。
イタリアでは地中海地域と北部ヨーロッパをつなぐ商業が発展し、広域商業を営む新しい商業技術が開発され、それがまたイタリアの商業を発展させることになりました。イタリア以外ではフランドル地方の都市も、ドイツ東部の都市でも独立性が高くなりました。それが一五〇以上もの自由都市からなる強力なハンザ同盟の結成となっていきました。