第一章 資本主義の誕生
《一》商業資本主義が生まれた中世イタリア
イタリアは産業立国の生みの親
イタリアの諸都市は単に商業が発達し、金融業が起こっただけではありませんでした。
フィレンツェは、毛織物業というヨーロッパではもっとも基本的な産業も生み出しました。フィレンツェは、中世には一時神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝が支配していましたが(八四六年~一一九七年)、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、一一一五年には自治都市、一三世紀に共和国となりました(フィレンツェ共和国、一一一五年~一五三二年)。
一三二〇年代、フランドル毛織物工業の危機を契機に(英仏百年戦争はフランドルをめぐる英仏の争いがきっかけの一つでした)、フィレンツェ商人はイングランドがフランドルに輸出していた良質の羊毛を輸入して(戦争のためフランドルに輸出できなくなりました)、フランドルの高級毛織物を模倣したフィレンツェ製品を生産し始め、早くも一四世紀後半、イタリアおよび地中海世界の高級毛織物市場では、フィレンツェ製品の独占状態が実現しました(フィレンツェも最初はフランドルの模倣からはじめました)。
もっとも裕福だった毛織物組合は一四世紀の初めに約三万人の労働者をかかえ、二〇〇の店舗を所有していました。
このようにして、フィレンツェは、短期間に金融業、商業、輸出向け毛織物工業からなる固有の産業構造をもつ一大経済都市に成長しました(金融・貿易・産業の発展〈産業立国〉の系譜は、のちにオランダ、イギリスへと引き継がれますが、その前にイタリアで起きていたのです。このように産業も伝播します)。
しかし、フィレンツェ人が最も得意としたのは、金融業でした。フィレンツェ人の銀行家はあらゆるところにいました。
イタリアでは、ローマ、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ナポリ、ミラノ、ピサ、イタリアの外では、ジュネーヴ、リヨン、アヴィニョン、ロンドン、ブリュージュなどでした(金融業も人材が育ち分散し伝播したのです)。
メディチ銀行(一三九七年~一四九四年)の全盛期は、一五世紀中頃に到来しました。
その発端は、一四一〇年にメディチ家のジョヴァンニがローマ教皇庁会計院の財務管理者となり、教皇庁の金融業務で優位な立場を得て、莫大な収益を手にすることに成功したことでした。
その後、メディチ銀行はローマやヴェネツィアへ支店網を広げました。このフィレンツェのように、イタリア商人は、単にモノの流通に専念しただけではなく、社会の仕組み(社会システム)を考え出しました。
広域商業を効率よくやるためにどうしたらよいか、新しい商業上の仕組み、ルールをつくり出していきました。ひとことで言えば、イタリアは今でいう金融業あるいは銀行業を生み出し、商品が資本に結実することを、実地に示しました。
これを「資本主義」と呼ぶには早すぎるかもしれませんが、この時期に資本主義の基礎となるものが発明されたのは確かでした。この金融業と資本主義の基礎技術が「創造と模倣・伝播の法則」でまずヨーロッパに、その後、世界に伝播していったのです。