人は何年も前から少しずつ死ぬ準備をはじめる。そして、いよいよという時、無意識のうちにその時が近いことを悟るらしい。二〇一五年、母はその年、前から行きたいと思っていた処、やりたいと思っていた事の全てをやった。*春生まれてはじめての“東京タワー”生まれて初めての“ちひろ美術館”生まれてはじめての“カヌーこぎ”生まれてはじめての“ホタル狩りボート”夏の初めのある日、「青木湖のホタルが見たい……」と、ボ…
介護の記事一覧
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第4回】残間 昭彦
人は何年も前から少しずつ死ぬ準備をはじめる
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第3回】残間 昭彦
母が誰に愚痴をこぼしても「まさかぁー」と取り合う者はいなかった
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第8回】石塚 武美
番組を見ながら、いろいろ一緒に雑談をすることは頭の訓練にとてもよかった
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第7回】石塚 武美
そっと抱っこして体全体をなでていろいろ話しかけたりもしていました
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【第2回】残間 昭彦
まるで家政婦になるために嫁にきたようなものである
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第6回】石塚 武美
だるまちゃんかわいい顔してるのね。口の下に『福』の字があるのが嬉しい。
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エッセイ『ありがとうをもう一度』【新連載】残間 昭彦
とにかく毎日、歌ってばかりいる天真爛漫な少女
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第5回】石塚 武美
母親が気にすると思って、私はボケの花を別名の放春花と呼んでいました
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第4回】石塚 武美
本人のプライドを傷つける最悪の言葉で認知症を悪化させる
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【最終回】大野 公子
介護する者はされるほうの生き方まで背負い込まなければならない
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第19回】大野 公子
介護する側、される側、双方には今日に至る歴史がある
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第18回】大野 公子
考えてみたら私は姑にあれこれと小言を言われたことがない
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第3回】石塚 武美
介護の手抜きをして、自分を常に心身とも余力を残した状態にしておく
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【第2回】石塚 武美
認知症が改善でき、103歳を元気に迎えることができました
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第17回】大野 公子
ああ窮屈、窮屈。はよ自分で好きなようにしたい。
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第16回】大野 公子
お金がないと寂しいわと言うので預かっていたお金を全て渡す
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第15回】大野 公子
退院してからは、妄想もウソのようになくなり、従来の姑に戻った
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第14回】大野 公子
娘と違ってこの子はこんな時、いつも家に居ない。
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エッセイ『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』【新連載】石塚 武美
「ところで私の前にいるあなたはどなたなの?」と聞かれたのです
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エッセイ『嫁姑奮戦記』【第13回】大野 公子
布団をたたんでは広げ、広げてはたたみ、揚句は下に落とす。