食事の時は毎回一喜一憂
一日2食をしっかり食べると「今日も大丈夫、明日がある」と安心できました。「お母さんよく食べてくれてありがとう」の幸せな気持ちになりました。逆に1食しか食べない時は、次の日の朝、「今日はぜひ食べて」と私自身にプレッシャーになりました。一日3食ちゃんと食べることはあまりなかったですが、高齢なので3食は期待しませんでした。
食べものは100歳あたりまで何でも食べました。また、お箸を使い続けました。スプーンの方が楽ですが、指を工夫しながらお箸を使って食べることは脳へのいい刺激と思い、できるだけお箸にしました。ご飯を普通のお茶碗によそうとお箸で少しずつつまんだり、お箸の上にのせたりして口に入れていました。
でも、102歳あたりから次第にかむ力が弱くなって、固いもの、しこしこするものはしばらくかんでから、飲み込まずに口から指でつまんで出すようになりした。
母親はもともと非常に慎重なのでよくかまないと飲み込みません。いつまでもかんでいて飲み込まない時は「ペーする?(ほき出す意味)」と声をかけると、かんでいるものを指でつかんで口から出しました。中途半端にかんで飲み込まないので誤嚥にもならず、また、消化不良を起こさず助かりました。
このころから喜んで食べていたお稲荷さんも揚げがよくかめなくなり食べられなくなりました。また、焼き魚、薄い豚肉の生姜焼き、煮た牛肉も無理になっていきました。
このころが食べものについての大きな転換期で、「なんならかんで食べられるのか?」と、毎日悩みました。一日中母親の食べものを考えるようになっていました。薄く柔らかい牛肉、煮豆、煮た湯葉、マグロの筋のない刺身、生の甘えび、エビの天ぷら、サトイモの煮っころがし、ふかしたサツマイモは食べることができました。
特に少し甘く煮た花豆、金時豆、お多福豆、黒豆、鴬豆などの豆類は喜んで食べました。いつも家では何種類もの煮豆を作っていました。ペースト状のものは嫌がり、湯豆腐、玉子豆腐、プリンは食べませんでした。
こんな状況がしばらく続きましたが、次の段階として、柔らかい牛肉、湯葉、マグロの刺身、生の甘えび、エビの天ぷら類が、長くかんでいても飲み込めなくなりました。いよいよ食べられるものが少なくなり残ったものはほぼ豆類だけとなりました。
お箸もうまく使えなくなりスプーンか手で食べるようになりました。亡くなる前の1年程度は、アンパン、ジャムパン、チョコレートパン(チョコロールがとても好きでした)に各種煮豆がほぼ毎食になりました。
チョコロールをかじって食べた時は、口周りや鼻のてっぺんにチョコレートがついてとてもかわいい顔に見えました。まさに、3歳程度のかわいい子供の顔でした。
元気よくパンにかじりついていましたが徐々にかむ力が落ちて、かじって食べるのは無理になりました。パンを一口サイズに切り、ご飯も一口サイズのおにぎりにしました。一口サイズのおにぎりにはタイ味噌や海苔の佃煮を載せたり、ふりかけをかけたり工夫しました。栃木県育ちなのでお米は大好きで最後まで食べていました。