はじめに

この本を書いた目的についてご説明いたします。私の母親は昨年1月に103歳と10カ月で亡くなりました。母親は私たちに愛情深く、常に明るくエネルギッシュに過ごしていました。足が悪かったため、父親がよく面倒を見、また、近所に住む姉夫婦がずっと支えていました。私は専ら働く方に集中していました。

15年ほど前から徐々に認知症が出始め、血圧も高くなり、記憶力も衰え始めました。私は、当初、年を取ると誰でも同じように衰えていくものとあまり気にしていませんでした。

ところがあるとき夕食を一緒に食べている際、「ところで私の前にいるあなたはどなたなの?」と聞かれたのです。母親が90歳のころです。

実の母親から言われたこの言葉に対するショックと失望は計り知れないものがありました。母親が長生きしてもこのような状態が続けば私にとって人生の生きがいがなくなるとの危機感を持ちました。この危機感が原動力となって、「何としても母親を普通の状態に戻そう」との認知症への挑戦が始まりました。

8年前にサラリーマンを定年退職するまでは週末と平日の空いた時間、退職後は毎日多くの時間を、姉夫婦とともに母親の認知症を改善する試行錯誤に取り組みました。たくさんの工夫をしてみました。工夫を始めて5年ほどたったころ、何となく少し良くなってきて穏やかな雰囲気での会話ができるように感じました。

10年たって100歳になったころはかなり頭が働くようになり普通に近い会話ができるようになりました。雰囲気も脳をはじめ体全体がみずみずしく感じられ若返ったようになりました。顔もはりが出て表情も豊かになりました。

亡くなる少し前のテレビでの大相撲の画面では「御嶽海」をちゃんと声を出して読めました。また、新しいものへのチャレンジ精神が豊かだったので手話と英語を勉強して時々使っていました。

あるとき私が出かける際、母親は、いつもは「ビーケアフルプリーズ」と言うのですが、うまく思い出せずとっさに「気をつけてプリーズ」と機転を利かしていました。104歳近いのに素晴らしい頭と思いました。

認知症が確実に改善したことを実感して、思わず心の中で「バンザーイ」と叫びました。この挑戦の過程は、やりがいと、やり過ぎと、うまくいかないときの失望が混ざり、心身の疲れから心身症となって精神安定剤を飲むことが4期間、トータル1年ほどありました。

何回ももう駄目と思いましたがそのたびに姉夫婦に助けられ、何とか最後までやり遂げられました。改めて振り返ると、今、自分は74歳ですが一番充実した人生の15年だったと思っています。工夫に応じて、103歳まで元気に明るく普通の人間として生き、地上に存在してくれた母親にはとても感謝しています。

私にとって人生第4コーナーを過ぎ、普通は穏やかな終活の時期に母親は私にとって光り輝く道を作ってくれました。優勝した気持ちです。この感謝の気持ちを込めて、姉夫婦と私の3人を代表して、私が母親の記録をまとめてみました。これは私たちにとって宝であり財産です。

また、お世話になった、ケアマネジャー、ヘルパー、デイサービス、ショートステイ、施設の方々、お医者さん、看護師さんに、この場をお借りしてお礼を申し上げます。この本が、私と同じように高齢者の介護をなされている方々にとって少しでも明日への希望が持てるような気持ちになれるような内容でありましたら幸せと思います。

なお、これからこの本を読み始められる方々にとって最も関心がおありと思われる「認知症は改善するの?」のご質問に対して「認知症は改善します」という私の考え(理屈)を以下に示したいと思います。

まずは、認知症という言葉が嫌いです。漢字を見ても、言葉を聞いてもどんな病気なのかよく分かりません。昔の、ボケ、に近い症状なのだと思いますが、ボケ、の方が誰にでもすぐ分かるので適切な言葉のような気がします。

最近の若い人は顎(あご)が小さく以前より歯の数が少ない人がいます。固いものを食べなくなってきたことによる体の「進化」と思います。また、近眼の人が多くなってきました。以前のように外で遊んで遠くを見る機会が少なくなり、逆に、スマホやゲーム機で近くを見る機会が増えてきたことによる体の「進化」と思います。

人間、一般に、年を取っていくにつれて仕事から離れて頭を使うことが減っていきます。つまり脳への刺激が減っていきます。その結果、脳細胞(記憶細胞を含む)は以前ほど活発に働く必要はなくなるので脳の「退化」が起こると思います。

言い換えると脳の働きが鈍くなると思います。記憶する力、記憶を取り出す力も弱くなります。

また、年とともに体全体の血流も悪くなります。頭の中でも、血流が悪くなったり、血管の末端の毛細血管が細くなったりします。その結果、脳細胞への血流が悪くなり栄養の供給が減ることになります。

栄養が減れば脳細胞の活動も鈍くなり脳の「退化」が起こると思います。この「退化」により、話しかけても反応が遅かったり、忘れることが多くなったり、徘徊したりする現象を、以前は、ボケた、と言ったのだと思います。今の認知症です。

以上のような理屈から、私は、認知症の改善には、

1 楽しい話、歌などで脳細胞を刺激して脳細胞を活発に働かせること

2 マッサージで血流をよくして脳細胞に栄養を届け、脳細胞を元気にさせること

が極めて重要であるとの結論に至りました。この本では、この考えに基づき、実行したさまざまな工夫を書きました。特に、第1章の初めに述べる『楽しいおしゃべり、マッサージ、歌』が認知症改善の主要な3本柱になると信じています。母親の認知症が改善し、記憶がよくなり、体全体にはりが出てみずみずしくなり、黒髪が出てきたのもまさしくこれらの工夫の効果だと思います。

全体の構成

序章から始まり、第1章は、103歳になるまでの母親にとって、最大の問題は認知症の改善でしたので、認知症の改善のために行ったさまざまな工夫を書いてみました。第2章では103歳を元気に迎えるまでのさまざまな工夫をまとめてみました。第2章には、第1章ほど詳しくはないですが、認知症の改善の工夫も書いています。第3章は母親の介護で気づいたことと簡単な記録、第4章は母親への気持ち、最後が、おわりに、です。