【前回の記事を読む】決死の覚悟で父と決別!新生活にも慣れた頃、予想外の訪問!?台湾に生まれ八歳で日本へ父、倒れる小学五年生くらいになると、ようやく私も学校での生活が楽しくなった。ふだんはそれほど目立つ児童ではなかったが、ひょんな拍子に変わった行動をして、人を笑わせるのが好きだった。クラスでちょっとした事件が起きたことがある。些細なことから男子二人が喧嘩をし、持っていた小刀で相手の男の子に怪我をさ…
自分史の記事一覧
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【第5回】阿南 攻
戦後台湾帰り、自分の居場所を見つけられず貧しかった父とのある一つの思い出
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エッセイ『貧しさは人生の花』【第2回】伊藤 フサ子
三十キロも離れた空が、夕焼けよりも真っ赤に燃えて見えた…宇都宮大空襲の惨状
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【第4回】阿南 攻
決死の覚悟で父と決別!新生活にも慣れた頃、予想外の訪問!?
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エッセイ『貧しさは人生の花』【新連載】伊藤 フサ子
【第3回自分史コンテスト大賞作】「まるで『昔ばなし』に出て来るような山奥です」人生の轍を顧みる
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【第3回】阿南 攻
日本に帰って変わってしまった父親…「出口の見えない恐怖」におびえる毎日
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【最終回】岡田 京子
「もう死のうかなー」11才の独り言に…“命の糧”となった叔母の言葉
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【第2回】阿南 攻
豊かだった台湾の暮らしから一変…敗戦後に日本に引き揚げた家族の実録
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第10回】岡田 京子
「養母の愛する人が私の布団に」…小学生が受けた壮絶な日々
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エッセイ『波乱万丈、どぎゃん苦にも負けんばい』【新連載】阿南 攻
戦争が拡大していく時代の中…台湾にいる日本人はどんな生活を送ったか?
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第9回】岡田 京子
コロッケ1つが4日分のおかず…小学生時代の壮絶な食事事情
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エッセイ『共生感謝録』【最終回】藤田 慶喜
消えてしまった1人の工員…「現場のチームワーク」を体感した出来事
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エッセイ『キミがいるから私は』【最終回】近藤 姫花
「朝起きたら、一番に家の匂いがする」安心感…退院して戻った日常
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第8回】岡田 京子
小学生の娘が悟った…母が「私の顔もろくに見ず、一心不乱に働く」理由
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エッセイ『共生感謝録』【第12回】藤田 慶喜
常にフル生産が要請されていた広畑製鉄所の「ワンワン運動」とは
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エッセイ『キミがいるから私は』【第11回】近藤 姫花
4年3組のみんなより…と書かれた手紙にあった「凄まじいメッセージ」
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第7回】岡田 京子
70歳になった今でも切ない…留置所に入れられた母からの「初めてのお土産」
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エッセイ『共生感謝録』【第11回】藤田 慶喜
富士製鉄の留学制度で東北大学へ…緑豊かな仙台での思い出を振り返る
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エッセイ『キミがいるから私は』【第10回】近藤 姫花
「ごめんね、もう一度手術をします」医師から告げられた衝撃の言葉
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エッセイ『77才からの便り 晩送歌』【第6回】岡田 京子
「産みの母と育ての母とどっちがええねん」5歳の少女に突き付けられた言葉の真意
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エッセイ『共生感謝録』【第10回】藤田 慶喜
生まれ育った東京を離れて姫路へ…富士製鉄入社当時の思い出