【前回の記事を読む】日本に帰って変わってしまった父親…「出口の見えない恐怖」におびえる毎日
第一章 貧しき時代を生き延びて―終戦、そして戦後へ
台湾に生まれ八歳で日本へ
母子三人の山中の脱出
だが、再び山奥にある家に戻らなければならない。秋から冬へと向かう季節だったと記憶している。山のふもとについたときにはすでに太陽が西に傾きはじめていた。
どんどんと暗くなっていく空に怯えながら、今度は山道を上っていく。ついには周辺が真っ暗になって、足元も見えないような状態の中、不安と恐怖に襲われながらとにかく山道を上った。
たまにゴソゴソッと森の中から動物の動くような音がする。そのたびに私は体をこわばらせ、震えながら急ぎ足になる。
やっと家族がいる小屋の影が目に入ったときには、どんなにほっとしたことだろうか。思わず駆け出し、小屋に飛び込むと、母が私を抱きしめてくれた。ずっと心配をしながら待っていてくれたのだ。父は何も言わず、横になっていた。
安堵と悔しさで、私の心はいっぱいになった。こうした暮らしを五か月ほどしていたであろうか、ついに母が決心した。
父が何かの用で竹田の町まで出かけて留守にした夜、母は私と妹を連れて家出を試みたのだ。深夜に叩き起こされた私たちは、身の回りの荷物だけを持って、真っ暗な山の中を下った。小さな妹の手を引き、私たち母子の脱走劇だ。
人の気配に驚いたのか、ウサギかタヌキか、真っ黒な塊が慌てて私たちの前を横切っていった。途中で雨が降り出し、私たちの体を濡らしていく。心細さが募り、ふと母の顔を見ると、険しい表情に母の決死の覚悟を知る。
竹田の町にいるはずの父が追いかけてくるはずはなかったが、それでもいつ、どこで父に見つかるかもしれない。そんな恐怖を背中に感じながら、私たち三人は懸命に歩き続けた。山を抜け、ようやく明け方になって村に入り、滝水駅に到着した。
そこから六時過ぎに出た一番列車に乗って、私たちは再び母の実家へと向かったのだった。