第二章 独身時代、青春を謳歌する―日本復興の熱気の中で
川鉄を覚悟の退職
退職時には同僚たちが盛大な送別会を開いてくれた。
その中で酔った小林作業長が「阿南社長、がんばれよぉ〜」と大きな声で叫んだときには、さすがにどんな顔をしたらよいかと困ってしまった。みんなもニコニコ笑いながら私の顔を見る。
(う〜ん、やっぱりオレは社長にならなきゃ、マズイよなぁ)
そう心の中で思った次第である。
そして昭和四十五(一九七〇)年八月、買ったばかりの自家用車に妻と娘、そして母を乗せて一路故郷へと向かった。
まだ東名高速道路が全線開通したばかりの時代であったから、遠路はるばるの旅路となり、途中、下関で一泊して二日間かけてたどり着く。途中で台風にも遭遇し、またまたこの先への不安が沸き起こるも、走り出した新たな人生はもう止めようがなかった。
さて、ここでちょっと余談である。
先日テレビを見ていたら、マツコ・デラックスさんがJFEスチール株式会社の工場見学に行った番組をやっていた。千葉出身のマツコ・デラックスさんは、小さい頃からこの工場に興味があり、ぜひ見たかったのだと言っていた。
JFEスチールは、川崎製鉄が日本鋼管と経営統合してできた会社である。その工場とはすなわち、私が五十年前まで働いていた場所だ。
その工場の中身を見て驚いた。ほとんどすべてがオートメーション化され、広い施設内にあまり人が見当たらない。おそらく多くの建物がすでに建て直されているのだろうが、天井も高く、床もピカピカで、なんときれいなことだろう。
まったくあの頃の千葉工場の面影もない。あんなに多くの人が汗水流して働いていた場所が、今は近未来の世界のようにも見える。半世紀の時の流れを改めて実感した瞬間であった。