【前回の記事を読む】【歴史】異例中の異例…天皇直々に官位を授けられる松永の活躍
永禄三年(西暦一五六〇年)
居城と定めた信貴山城に儂は千春を呼び寄せ、共に暮らしている。
生駒山地の峰に建つ信貴山城の本丸櫓からは東に奈良盆地を、西に河内平野を眺めることができ、この絶景を千春はことのほか好んだ。
「ほんに良き眺めでありますこと。天国にでもいる心地がいたします」
「確かに天空より民草の営みを覗いているようじゃな」
二人して、しばらく景色を眺めていた。
「そなたに茶の湯を振舞おう」
「女の身でもお茶をいただけるのですか」
「茶の湯に男も女もあるものか。そんなものがあるのなら、この儂が改めさせよう」
「頼もしきお言葉ですこと」
天王寺屋宗達をもてなしたのと同じように設えて、儂は千春のために茶を点てた。
永禄四年(西暦一五六一年)
「桃李門中多喜色 芙蓉幕下得兵権 民歌美政帰斯主 士感殊恩服厥賢」
《『翰林五鳳集』より》
松永様の館には優れた人物が多く、富士のように立派な三好様の下で兵権を得ている。民は松永様の政事が素晴らしいと喜び、武士たちは松永様の御恩を感じ、その賢明さに額づき服している。
喜ばしいことに、年が明けても三好家には慶事が続いた。
三好義長様が将軍義輝公の御供衆から相伴衆へ格上げになると、続いて朝廷からは、義長様に源氏姓が、そして儂にも藤原姓がそれぞれ贈られ、共に従四位下に叙された。その後、儂は改めて源氏姓を賜った。
「これで殿は、細川様、三好様と同じ官位にまで御昇りになられましたな」
「御屋形様と肩を並べられましたなぁ」
竹内秀勝や瓦林秀重などの家臣らが不謹慎なことを口にする度に、
「これっ、滅多なことを言うものではない。畏れ多いことじゃ」
と、儂は家臣らを叱ってまわらねばならなかった。
家臣ばかりではなく、付き合いのある公卿から出入りの商人までもが、当家の立身を祝いに京の松永屋敷を訪い、賑わった。