序 事の始まり

事の始まりは、この物語の三世代ほど前まで遡らねばならない。

室町幕府には管領(かんれい)といって征夷大将軍を補佐する幕府の要職があるのだが、その管領には細川、斯波、畠山という足利将軍家に連なる一門の中から選ばれた者が就任する決まりとなっていた。そしてこの三家は〈三管領家〉と呼ばれていた。

享徳三年(一四五四年)、その一つである畠山家で家督争いが生じた。畠山政久と畠山義就とが従兄弟同士で争ったのである。

その当時、幕府の実力者であった山名(そう)(ぜん)と細川勝元は政久を庇護したのであるが、時の将軍足利義政は義就を支持し、果たして畠山家の家督は義就が相続し、政久は没落した。

この室町幕府第八代将軍足利義政は就任当初は名君で、徳政改正などの税制政策によって幕府財政を急速に回復させ、長年の懸案であった内裏の再建も成し、自らも〈花の御所〉と呼ばれるほどの絢爛な将軍邸を新造して己を権威づけ、幕府の再建を推し進めたのである。

順風満帆に見えた義政政権であったが、畠山義就の暴走によりその綻びが生ずることとなる。義就は度々軍事行動を起こし、自らの所領である河内国の周辺地域を武力により侵食し始めたのである。

これに激怒した将軍義政は細川勝元が推す畠山政長を畠山家の家督としたため、義就は京を脱して居城である河内国獄山城に籠城し、政長方と戦闘を繰り広げたのである。

ちなみに畠山政長とは、没落した政久の実弟である。