【前回の記事を読む】【小説】公方の伊勢貞孝が慶興に名を授け…「有り難き幸せ」
永禄三年(西暦一五六〇年)
年が明けた永禄三年。朝廷からの御呼出しがあり、長慶様は正月早々上洛された。
長慶様と義長様は参内し、正親町天皇より、長慶様は修理大夫に、義長様は筑前守に、それぞれ任ぜられた。
長慶様は任官の御礼とともに、正親町天皇の即位の費用として百貫文を納め、正月末に行われた即位礼では、その警固の任をお勤めになられた。
正親町天皇はたいへん満足されたご様子で、長慶様、義長様親子と内裏の松の庭で謁見され、天盃と御剣を下賜された。
「おめでとうございます」
京の三好邸の大広間に三好家家臣一同の喜びの声が響いた。
「此度、御屋形様に於かれましては修理大夫への任官、孫次郎様に於かれましては筑前守への任官、並びに主上よりご宝物を賜りましたこと、我ら家臣にとりましても誉、まことに喜ばしい限りでございます。一同を代表してお祝い申し上げます」
今や家臣筆頭となった儂が誇らしげに言上した。
「これも皆、そなたらのお陰と思うておる。ここ数年、京には戦もなく、主上の御心を安んじ奉ることができ、公方様にも京にお戻りいただけた。そして何より民草が安寧に暮らせるようになった。こうした平穏な世を保つだけではなく、全国へと拡げていきたい。これからも私と三好の家に力を貸してもらいたい」
長慶様の声は弾み、瞳は輝いていた。
皆もまた、浮き立つ思いであったろう。
月が替わって如月。義長様と儂は共に将軍御供衆に加わることとなった。義長様は当然のことであるが、無官のこの儂までも将軍家の直臣にお採りたていただいたことは、正直、驚き以外の何物でもなかった。
と思っているところへ、朝廷から御呼出しがあった。なんと、この儂が任官されるという。
「受任して宜しいか」
と、さっそく儂は長慶様に伺をたてたところ、
「兄とも思う人が無位無官で良いはずがあろうか」
と、お許しをいただき、朝廷からの御呼出しの翌日、儂は参内した。
京の都には如月の小雪が舞っていた。
案内された部屋は何の飾り気もない、質素な佇まいであるが、一段高くなった上段の間は別で、御簾の向こうには畳が敷き詰められているようで、い草の香りがする。
しばらくすると、御簾の手前に一人の公卿が座し、御簾の奥には主上がお座りになられた。
儂は畏まった。
「松永弾正忠、近年のその方の働き、目を見張るところ大いにありて、まことに見事である。御上も、この上なく耽美されておじゃる。よって、その方を弾正少弼の職に任ずる」
御簾の手前の公卿。武家伝奏を務める、義兄の広橋国光卿が宣もうた。
「権大納言様に申し上げます。身に余る御高配を賜り、恐悦至極。謹んでお受けいたします。この松永、お受けいたしますからには、弾正台の御役目を全うすべく、主上に成り代わりて都の静謐を維持する所存でございます」
「松永。いや、任官したのであるから霜台。朕はそなたを頼りにしておる。これからもなお一層、世の平安のために尽くしてもらいたい」
畏れ多くも、御簾の内から直々にお言葉を賜った。ちなみに〈霜台〉とは弾正台の唐名である。
「権大納言様に申し上げます……」
主上から直接お声掛けいただいた儂の声は、恐縮の余り、不覚にも上ずった。
「いや、霜台。直答を許す」
「ははっ」
直答を許されて、儂はもう、心の臓が潰れてしまうのではないかと思うほど、高揚していた。
「先年、主上より御褒美に鶴を賜りました。本日、この場をお借りして御礼申し上げます」
「そのようなことも有ったのう」
主上は親しげにお言葉を返された。
楠木一族御赦免の件についての御礼も、儂は付け加えるのを忘れなかった。