慶事はまだ続く。

長慶様と義長様と儂は公方様より桐紋の使用が許され、義長様には浅葱色の〈御肩衣・御袴〉が、儂には茶色のそれが下賜された。加えて、儂は〈塗り輿〉の使用も許され、足利将軍家の宝物である薬研藤四郎なる短刀も頂戴した。

〈塗り輿〉とは牛車に次ぐ特別な乗用具であり、乗ることの許された者は、摂関家などの上級の公家及び将軍、鎌倉の公方、管領家の当主などの上級の武家に限られていた。

「霜台殿は薬研藤四郎がいかなる刀かご存じですかな」

家臣らにも披露して見せたのだが、剣術使いの結城忠正が薬研藤四郎にたいそう興味を示した。

「ほれ、ようく見てみよ。〈吉光〉と銘が刻まれておろう」

忠正をからかうように、儂はわざと自慢げに言うと、

「短刀打ちの名手として知られる粟田口の藤四郎吉光が鍛えたもので、かの三代将軍足利義満公も所持していたという名刀です。切っ先の刃文は横の筋から切っ先に向けて小丸に返っているのがわかりますか」

忠正は蘊蓄を語りながら、物欲しげな顔で短刀に見入っていた。

公方様からの厚遇の返礼として、三好側から〈御成り〉を請うよう、幕府政所執事の伊勢貞孝から要請があった。三好家としては当主の長慶様ではなく、義長様がそれを受けることにした。

将軍の御成りを家臣が受けるということは、その家にとっては名誉なことで、将軍家との親密な関係と三好家の隆盛を世に示す絶好の機会でもあった。

義長様の後見役として、儂の多忙な日々が始まった。

まず公方様をお迎えするにあたって、義長様の御屋敷を新造する必要が生じたため、家臣の勝雲斎周椿を呼んだ。

「お呼びでしょうか」

すぐに勝雲斎が儂の居室にやって来た。

「そちは普請が得意であったろう」

「はい、それがしは奈良の寺社の普請を多く手掛けてまいりましたゆえ、宮大工の知己も多くおります」

「おぅ、それは頼もしい。公方様御成りの件、既に存じておろう。義長様の御屋敷新造の件、そちに任せたい」

「承知仕りました」

勝雲斎は、にこりと良い表情をした。

次は、御成りの際の作法である。どのようにおもてなしするかである。今度は結城忠正を呼んだ。

「お忙しそうですなぁ」

忠正が儂の居室に顔を見せた。

「結城殿は幕府奉公衆でもある。公方様御成りの際の作法について、知識がお有りであればご教示願いたいのだが」

「教示したら褒美に薬研藤四郎をいただけようか」

「……」

「戯言じゃ」

忠正は意地悪そうな顔をした。

「それがしも経験したことがないゆえ、古い記録などを調べてみよう」

「頼りにしておりますぞ」

家臣の竹内秀勝の実兄の竹内季治卿が、朝廷において饗膳の食事を掌る大膳大夫であるため、宴の食事の手配については竹内秀勝に任せ、係る経費については喜多左衛門尉に任せた。