明神水産
明神水産についても触れておきます。明神水産創業者の明神亀次は明治時代が終わった翌年の大正元年に3人兄弟の次男として生まれました。本家の明神丸から船頭として分家する形で当時の地名が幡多郡佐賀町佐賀だったので、佐賀明神丸として新しく興しました。だから船の名前は今でも明神丸ではなく第23佐賀明神丸、第83佐賀明神丸、第88佐賀明神丸、といった具合に付けられています。
明神亀次と妻の梅野は6人の子宝に恵まれ、船頭を引き継いだ息子の三郎氏と正一氏は水揚げで全国に大いに佐賀明神丸の名をとどろかせました。現在佐賀明神丸グループを引き継ぎ、明神水産株式会社を経営しているのは末っ子であの恐ろしかった船頭の明神正一氏です。
私が中学生の頃当時陸(おか)の仕事をしていた正一氏の兄が地元で漁師が藁で鰹を炙って食べていたのにヒントを得て、鰹の藁焼き叩きを商品として売り出すことに成功しました。好評を博して数年後には会社組織にし、現在の地に本社工場を構えることが出来ました。
よくある話ですが、明神水産株式会社もご多分に漏れず規模は急成長したけれど経営については素人で、お金がドンドン入ってくると欲が出てきて嫉妬や主導権争いなどお定まりの内紛が起きました。結局専務だった三男は会社を去ることになりました。
その後地元佐賀の他人が入って経営しましたがやはりお金がらみの不正を犯し、業績不振となった会社を去っています。その後私のいとこにあたる方が加工事業を任されました。彼は業績不振を立て直しましたが、前任者と同じくお金に絡む不正を働き2019年に会社を去っています。
幾度となく鰹一本釣り漁船日本一に輝いた正一氏はそんな窮状を見かねて何とかせねばと立ち上がりました。2020年に船を降りて陸(おか)に上がって、佐賀明神丸船団と加工事業を一本化した明神水産株式会社の社長を引き受け、まとめあげました。
明神水産を名実共にまともな会社にした創業者と言っても過言ではないでしょう。私が正一氏から組織をまとめていく時に学んだのは絶対に私利私欲を持ち込んではいけないということでした。
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