【前回の記事を読む】高校退学。貯金のため軽い気持ちで漁船に乗った17歳の私。しかし陸では優しかった叔父が豹変「海に落とす」と脅され、地獄の日々へ…
第一部 自叙伝
Ⅰ 生い立ち
漁師生活
正一船頭の恐ろしさは全国の船頭の中で誰にも負けず水揚げイコール売り上げを上げることで日本一になるという信念と、ケガや事故を起こさない安全な操業をするという強い意志の表れだったのだと理解することが出来ますが、当時はそれどころではなく必死に喰らいついていくことで精一杯でした。
出来ないと言ったら𠮟られるので、どうやったら出来るかをいつも考えていました。そのうえ私は体力勝負では周りの乗組員たちには勝てないので、人がしないことを考えて工夫し挑戦していました。
Ⅱ 挫折
船を降りる
船を辞める最後の一年は、船の中での三役、船長・機関長・局長の一つの機関長を任されました。年上のベテラン船員を部下に置いて長としてやりました。指示してもバカにされて言うことは聞かないし、体の大きい船員たちになめられ脅され、船頭との間に立って結果を出していかなければいけない中間管理職の辛さが身に沁みました。
あの時の自分は本当に精神的にきつかったと思います。よくうつ病などにならなかったと思います。当時、同じ船に乗っていた弟の靖と比較され、自分のリーダーシップのなさに嫌気がさし、精神的に追い込まれ食欲もありません。このまま続けても、漁師は男社会の力仕事、体力がないとリーダーとして通用しない。
この世界では弟のような体が大きくごつい人間がリーダーになるんだと思い、このままでは弟に使われる側になり、迷惑をかけるようになる。それなら自分には違う世界が良いのではないかと考えるようになり、正一船頭に来年で下船したいと勇気と覚悟を持って伝えました。反対は当然されましたが自分の意志は固く、28歳で船を降りることになりました。
当時、体の大きい弟が本当にうらやましかったです。目も良く、リーダーシップのある人間で、船頭になれば良い船頭になるだろうと当時から思っていました。現在彼は日本でもトップクラスの船頭となり第88佐賀明神丸を率いて、水揚げ日本一にもなっています。
陸で働く
船を降りようかと考えた時に私の決断を応援してくれたのが妻の祐子です。祐子とは1991年の冬に、中村市内(現在の四万十市)にあるお互いの行きつけのスナックで出会いました。私は漁師ですから11月頃一年の漁が終わり2月頃出漁するまでは陸(おか)の生活になります。