私は娘と、あの頃はタブーだと思っていたパパの話をするようになった。時には二人で泣いて、時にはおもろいパパを思い出して笑った。
そう言えば、娘はヨチヨチと歩き始めた時から、転んだりどこかをぶつけたりして痛い思いをすると、「ママー」ではなく、「パパー」だったなぁ。
私は、自分一人我慢して、頑張っていたつもりでいたのだ。子供たちはお見通しで、そんな弱い私には何も言わずに、自分たちで頼れるところを見つけて、自分たちが倒れないよう、前に進もうとしていたんだ。
スタッフもまた同じ。私にどれだけ気を遣い、思ってくれながら、自分たちの辛さをあの時どうやって乗り越えようとしてくれていたんだろうか。
泣き崩れていた東山先生、息子と一緒に泣いてくれたずっと一緒のスタッフ。そんなことに考えが及んだのは、まだまだ先の話である。
患者さんの中には私を見ては泣いてくれる人もいて、「あの大きな『こんにちは!』が聞こえないのは寂しいなぁ」と、口々に言ってくれた。
その度に、「俺が死んでも、家族以外誰も泣かないよ」と、基本ネガティブなパパが口をとがらせながら言っていたのを思い出す。ほんと人を見る目がないね、パパ。
ボイラーが故障した時など、ホースを付け替えたりなど、素人でも直せるものはパパがやっていた。
その機械室の壁に『東ちゃんならできるよ! 頑張れ!』とパパの字で書いてあった。
自分がリタイヤした時のために書いたのかもしれないけれど、パパが亡くなって一年以上過ぎた先日、その機械室に修理のために入った東山先生がその文字を見つけて、声を詰まらせ泣いていた。
皆に愛されていること、気付いていたかな? この頃の、そして今も私のモチベーションの一つは、いろんなところから来るM&A勧誘の郵便だ!
亡くなった直後から、どこで知ったのか、合併、統合、業務提携、たくさん来る。
私は必ず開封する! その冒頭にある文字列を目に焼き付けて、ぐしゃぐしゃにして捨てる。
“なめんなよー!”
一方で、パパの声も聞こえる。
「ママー、弱いんだから、そんな強がらない。笑笑」
ほんとに。笑笑。