【前回の記事を読む】朝から何度もLINEしたのに返信がない。数時間後、寝室で冷たくなった夫を発見…それ以来、子どもから返事がないだけでパニックになり…

第2章 その後

3  パパが教えてくれたこと

子離れしない親が多い昨今。私もそうであった。パパのことがなければ、いまだにそうだっただろう。

パパの生前、息子が渡米すると決めてから、それまで離れて住むこともなかった子供溺愛のバカ親の私は、渡米後を思うと寂しくて、よく涙したものである。もちろん息子のいないところでだが。

パパの死はそんな私を一変させた。渡米当時、友人たちは「こんな辛い時によく息子を行かせたね」と言ってくれたが、私にはその言葉がどうにも腑に落ちなかった。

あの状況の中で決断し、厳しい世界へ向かっていったのは息子自身である。その覚悟こそ、思えば並大抵のものではなかった。

先にお話をした、私が初めてアメリカの息子の所に行った時のこと。

私は、日本に帰る際に、持参した小さな写真立てのパパを、置いていこうか?と息子に聞いた。

「全部置いてきたのに、意味がなくなるからいらない」と彼は言った。

完敗だ。彼の覚悟など、バカ親の私は知る由もなかった。パパと二人三脚でずっと歩んできたサッカーだ! その思いを深く刻んで、一人で戦うために彼は渡米したんだ。

頼れるものを“全部置いて”親が一緒にいることが大事な時はある。ただ、私が一緒にいたいからは、もうどうでもよくなった。

そんな言うまでもないことを、パパがいなくならないと気付けなかった。どこでもいい! 子供たちが、やりたいことを見つけて、今を生きていてくれたら。

息子は自立し始めている。私もバカ親は卒業しよう。パパと息子のおかげで、私は進路を考え始めた娘にも、「やりたいことをやりなさい! 行きたい所へ行きなさい! ママのことは気にしなくいい!」と伝えることができた。

これって、かえって気を遣わせている?と思ったのも束の間、「うん!卒業したら一人暮らししてみよっかなー」とキラキラな目で答えた娘。

「う、うん。そうだね! やってみたら?」

娘も心配無用である。しっかり親離れできている。

そして、そんな娘は最近、医療系に進みたいと、苦手な理系に進んだ。できる道より、行きたい道を選んだ娘。素直に育っているなぁ。

私は、一人で楽しく元気に過ごせるように、スクワット、トマトジュース(食塩無添加)、青汁を始めた。一人旅も楽しめるようになりつつあり、一緒に旅行に行ってくれる友人もいる。子離れ万歳!