【前回の記事を読む】50歳になるまで中古車しか買わなかったパパ…初めての新車で娘を買い物に誘ったが、その車に娘を乗せることは一度もなかった

第2章 その後

私がここまでを書いたのはパパが亡くなって一年が過ぎた頃。

なぜか途中で自分の書いたものを開けなくなったのでやめていた。その後、つらつらと思い立ったように書き出しては、閉じて……を繰り返し、気付けば四年半が経っていた。

1 二年目は現実逃避

パパが亡くなって一年が過ぎて二年目、私はとにかく家族、人前では泣かないようにしていた。いつのまにか、一人の時もパパ以外のことでは泣かなくなった。家族もクリニックも、私たちは今どうにかグラグラしながら立っている。あの大きな柱をなくして。

だって! 仕事について言えば、パパがいなくなって、急遽私はクリニックの経営者になったのだ。私は医師ではないし、なんの資格もない。そんな私が。

ただ、私たち夫婦は開業したその日から、一緒に頑張ってきた、とこれだけは胸を張って言える。

23年前に開業した日は雨で、今の人数の半分もいないスタッフと、診療室の窓から道路を覗き込んでは、“入ってきて! お願い!”と患者さんが入ってこないかと祈っていた。

パパはといえば、初めての“院長”を模索しながら走っていた。

うちのような町のクリニックの場合、法人でも、診療も経営も医師がやっているところが多い。パパは、しばらくは経営、“院長”としての診療、スタッフ教育、その他諸々を、私が“助手”として一手に引き受けることになった。

私たち二人はすべてに慣れていないし、システムも確立していないので、要領が悪く、毎晩深夜0時過ぎまでなんやかんやと仕事が終わらなかった。

私は当初まだ母校の大学で教務員として働いていたので、朝は早くに出勤、夕方からまたクリニックへ、そして気付くと深夜0時を回っているという生活だった。

一般的にも、私個人的にも、こんなにも医師の妻が大変だとは思っていなかった。実際、妻が介入しているクリニックばかりではない。

ただうちに関していえば、がっつりと私は関わっていた。娘に同じ道は歩ませたくないなと思うくらいきつかった。

パパは、スタッフにも「何かあったら全部ママに言って」と言っていた。

「やめてよー! もう!」

当時は、“なんで私に何でもかんでも任せるの、周りはみんな院長がやっているじゃん、なんで、私ばっかりこんなにいろいろやんなきゃなの!”と不満に思っていた。

さあ! ここからはパパにいつかは言ってやろうと思っていた愚痴オンパレード。