掛けるのは知恵と工夫と運。そして、釣り上げるのは経験と腕だ。竿と糸の強さと弱さ、それを知り尽くして竿を操る。それでようやく、糸よりも強い魚が釣れる。(この時代にはナイロンもフロロカーボンもない。木綿、麻、絹、馬の尻尾に天蚕糸(てぐす)、すべて天然素材なのだ)

再び浮子先が浮かび、くん、くん、と上下してから、ゆっくりと沈んでいった。

「はい」

浮子を追うように太平の手がすっと下げられる。

「むん」

石動が竿を立てると、ずしりと重さが伝わり、次の瞬間。

「ぎゅわわあぁーん」

竿鳴りと糸鳴りを響かせながら、竿が満月のごとくに絞り込まれていく。

「はい、いい音です。これは大物ですよ」

鯉釣りでこれだけの竿鳴り、糸鳴りを聞くのは太平も初めてだった。最初の糸鳴りでは肝を冷やしたが、糸は切れずに、今は糸鳴りも止やんでいる。竿がしっかりと自分の仕事をして糸を守ってくれている。

「頑張ってください。どっちも」

後は釣り人と魚の問題だ。

「……」

石動に返事をする余裕はない。生まれて初めての魚の引きは想像をはるかに超えていた。糸の向こうの魚の重さと強さ。それを伝える糸はあまりにか細く頼りない。無理だ、絶対に切れる。正直そう思った。

「だから竿があるんです。竿を使ってお魚に嫌がらせをする。ええ、釣りってそういうものなんですから」

そう言われても、石動が竿を持つのは今日が初めてなのだ。その竿から伝わる圧倒的な力の前に、石動は恐怖すら覚えていた。

「命のかかっているのはお魚の方です。あなたじゃありません」

「うむ」

太平の一言で我に返った。糸の向こうにあるのは必死の命。だったらこれは遊びではない、戦いだ。

「うむ」

糸鳴りは悲鳴と聞こえたが、竿鳴りは獣(けもの)の雄叫(おたけ)びと聞こえた。水中の獣と地上の獣が全身全霊を込めて戦っている。そして、その戦いはたった一本の細い糸にかかっている。糸が切れれば魚の勝利。糸を守り抜けば、竿と石動の勝利となる。

そうと分かれば戦い方も見えてきた。太平の言う嫌がらせの意味も分かった。今、自分は気の荒い悍馬(かんば)に轡(くつわ)を咬(か)ませたところだ。後は手綱(たづな)を使って、なだめ、すかして、言う事を聞かせる。その手綱が糸で、そして竿だ。

「はい、その通りです。ええ、うまいもんですウマヅラさん」

太平が嬉しそうに石動の竿の動きを見ている。太平は人の釣りでも自分が釣っている気になってしまう。だから釣り損ねれば自分の事のように悔しいし、釣り上げれば素直に嬉しい。

「うむ」

必ず釣り上げる。太平のためではない。これだけの戦いの相手。その顔だけは何としても見てみたい。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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